このエントリでは、なぜ人類は物語を語るのか、それについてみていきたいと思う。
人類が物語を語る根源的な理由が分かれば、あるいは人類が物語を求める原始的な理由が分かれば、読者により強く訴求する物語を作れるに違いない。
そのためにも、小説家たち=僕たちは「なぜ人類は物語を求めるようになったのか」について、自覚的になるべきなのだろう。
では行ってみよう。
宇宙の始まりは
人類が物語を語り、求める理由について語る前に、宇宙の始まりについて少し話をしたい。
宇宙は、今から137億年前にビッグバンと呼ばれる大爆発が起きたところから始まったと言われている。そして今なお宇宙は膨張を続けているわけだ。
では、なぜ宇宙は137億年前に突然始まったのか。
なぜ宇宙の始まりは10億年前でも500億年前でもなく137億年前だったのか。
その瞬間、宇宙で何があったのか。
これについては長らく謎だったわけだが、つい最近驚くべきことが分かった。
宇宙の始まりに関する、恐るべき事実が判明してしまったのだ。
僕たちが生まれ、生きているこの世界は、なぜその137億年前という時に生まれたのか。
それについては後で触れるとして、このエントリのメインテーマについて話をしよう。
こんな話だーーなぜ僕たち人類は物語を語るのか。
人類が物語を語る理由
世界中の各地に存在する人類は、古の時代より物語を語っていた。その代表選手は「神話」だ。神様がこの世界を作り、そして僕たち人類を作った、そのあらましを語った物語である。
内容は地域によって大きく異なる。しかし、語られていることは大体同じだ。
大地や海や空は、なぜそこに存在しているのか。
太陽はなぜ毎日東から昇り、西に沈むのか。
夜になると星が煌めくのはなぜか。
そして僕たち人間はなぜ存在しているのか。
では、なぜどこの地域の神話も似たような題材を語っているのだろうか。
なぜこの世界が出来上がっているのか、なぜ僕たちが存在しているのか、そのことについて物語をしたためているのか。
それが人類にとって明らかにすべきものだったからだろう。
考えてもみて欲しい。
もしキミの物心がつくその時、目の前に広がっているのが広大なサバンナだとしたら。
両親は獣の皮でできた服を着ていて、原始的な狩猟生活を送っているとしたら。
世界のことなど何も分からず、ただ目の前にある自然に圧倒されるとしたら。
僕たちは問わずにはいられないだろう。
いったい誰が何のためにこの世界を作ったのか。
いったいなぜ僕たちはこうして生きているのか。
そう。
二足歩行をし、服を着て、言葉を操り、知性を手に入れた僕たちは、問わずにはいられなかったのだ。そうした世界の成り立ちについて。そして自分自身について。
だから、人類は、身の回りにある「なぜ」に答えを出すため、物語を作っていった。
そして、自分たちが存在している意味を明らかにしたのだ。
物語に必要なもの
物語は、世界に対する「なぜ」を覚えてしまった人間が、それに「答え」を出すために作られていった。
つまり、物語には、何かに対する「なぜ」と、それに対する「答え」が含まれていて、それが核になっている、と言える。
「なぜ」=「謎」と、それに対する「答え」。それが最も原始的な物語の姿だと言えるだろう。
これが、物語の背骨だ。言うなれば、「原始物語」といったところである。
物語の派生
脊椎動物が魚類から両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類とバリエーションがあるのと同じように、物語も語られるうちに派生をしていった。
悲劇が生まれ、喜劇が生まれ、昨今では泣ける物語や切ない物語、ハラハラする物語や怒りを覚えるような物語が生まれた。
こうした物語たちは、どれもそれぞれの顔を持っているわけだが、物語である以上、どんな形であれ「原始物語」が持ち合わせている特徴を持つ必要がある。
つまり、「謎」と、それに対する「答え」だ。
物語の「謎」はミステリー小説のようにあからさまな場合(なぜ彼は殺されたのか)もあれば、もっと抽象的な場合(こんな困難な状況を、主人公はどうやって解決していくのか)もあるだろう。
ただ、どうあれ、物語を物語たらしめているのは、「原始物語」の構成要素である「謎」と「答え」だ。
これがなければ、背骨がない脊椎動物がいないのと同じだ。「謎」と「答え」がなければ、物語ではない。
さて、キミ自身の作品を手に取り、見返してみて欲しい。
キミが書いたその作品の「謎」と「答え」は何だろう? そんな問いを誰か(例えば小説の編集者)に投げかけられたら、それに答えられるだろうか。
キミの書いた物語は、果たして本当に「物語」だろうか?
キミの生み出したもの(作品)には、ちゃんとそれと分かる背骨の手触りはあるだろうか?
失敗した物語
ところで、ここで冒頭で述べた宇宙の始まりについて語ろう。
冒頭、僕はこの宇宙が137億年前に生まれた理由について、恐るべき事実が最近わかった、と言ったと思う。
申し訳ないが、これはでっち上げだ。
100%ウソである。
ーーさて、どう思っただろう。
「宇宙の始まり」という壮大な「謎」に対し、「答え」が「ウソでした」では、「なんだよそれ!」と言いたくなったんじゃないだろうか。
そう。これこそがまさに「失敗した物語」の典型だ。
「謎」に対し、納得できる「答え」が出てこないというのは、物語の進化を考えると、出来損ないのものと思われてしかたのないものなのだ。
関連するエントリとして「新人賞に応募しても確実に落ちる作品とは」がある。こちらも参照してもらいたい。
おわりに
人類は、世界に満ちた「謎」に「答え」を出し、心の安静を得るために物語を作った。
だから、キミの書く物語にも、「謎」と「答え」は必要だ。どんな形であれ、人が物語を消費するということの裏には、本能的にそれが隠れていると思った方が良い。
つまり、人は物語を読む時、無意識に「謎」と「答え」を探す、ということだ。
自分の作品が「原始物語」として成り立っているか、それを意識していま一度見直してみると、何かが見えてくるに違いない。
活用されたし。
ライトノベル作家。
商業作家としての名義は「くれあきら」とは別。今は主にブログで小説にまつわるアレコレを配信中。デビューから商業作家時代の話を「今、小説家になるために必要なもの(1)」に書いてます。