選考を通過する作品と通過しない作品の違い

このブログの過去エントリで口を酸っぱくして言っている話だけど、もしキミが従来のように出版社主催の新人賞を受賞して小説家デビューを果たそうとしているとしたら、少し考え直した方が良い。

いや、少しどころか、すごく考え直した方が良い。

どこの馬の骨とも分からない新人の本が売れるほど今の世の中は甘くないし、そもそも一般消費者は小説というメディアにそれほどの期待をかけていないのだ。

それでも小説家になりたいのなら、僕の経験談(「今、小説家になるために必要なもの(1):デビューに必要不可欠なものは?」)を読んでもらいたい。そこに、何をすべきかが書いてある。成功するかはキミ次第だけれど、少なくとも僕と同じ失敗はしなくなるはずだ。

さて、そうは言ってもせっかく小説を書いているのだから、権威ある(と、一般に思われているであろう)誰かに認められたいと考えるのは自然だ。

そういう意味では、出版社主催の新人賞に応募をすれば、自分の小説がどの程度のレベルのものなのか分かるし、運良く受賞すれば賞金をもらえる。それをモチベーションに執筆をするのは、ある種合理的だと言えるだろう。

このエントリでは、新人賞の選考を通過する作品と、通過しない作品の違いについて記したいと思う。

選考を通過する作品としない作品について

僕のデビュー作は、とある別の賞に応募して落選(一次選考も通過しない、箸にも棒にも引っかからないものだった)したものを手直ししたものである。

つまり、このブラッシュアップ時に僕がやったことが、選考を通過できない作品に必要な施策は何か、という問いに対する解答例の一つとなるだろう。

では、何をしたのか。

一言で言えば「分かりやすくした」。

では何を分かりやすくしたのか。

およそ全てを、だ。

具体的にいうと、描写、設定、キャラクター、物語、演出だ。

描写

描写の観点では、以下の観点で分かりやすさを突き詰めた。

  • 読んでいて映像がしっかり簡単に浮かぶように5W1Hを都度都度明確にした。
  • 改行のタイミングや一文の長さ、文章の構造に気を使い、スラスラと読めるようにした。

設定

設定として気を使った点は以下のところだ。

  • 説明に多くの文字を使う必要がある設定は排除し、既存のありふれた概念をそのまま利用するよう変更した。
  • 読者がすぐにイメージできるような舞台装置を利用することで、読者がイメージを膨らませるコストを削減し、読者の脳みそにかかる負担を削減した。

キャラクター

キャラクターの分かりやすさを磨くためには以下のことを見直し、読者がキャラクターを覚える、見分けるために使うエネルギーを抑えることに務めた。

  • その場面において、誰が何を話しているのか、誰がどのような行動をしているのかが、より伝わりやすくなるように、登場人物に明確なキャラクター付けをした。
  • 一つの場面に何人も人物を登場させないようにした。

物語

物語の観点では、以下のポイントを押さえ、分かりやすさに磨きをかけた。

  • 登場人物が何をしたいのか、目的を分かりやすくした。そしてその目的を阻止する「もの」、「こと」、「人」を、それと分かるように登場させた。
  • 無駄な記載や独白(自己満足的、中二病的な独白!)を削り、ストーリー自体が浮き彫りになるようにした。

演出

演出の観点で意識した分かりやすさは以下だ。

  • 喜ぶべき場面、怒るべき場面、哀しむべき場面、楽しむべき場面といった、感情を揺さぶる場面で外連味を出し、ここが喜怒哀楽をする場所だ、ということを読者に明確に伝わるようにした。

外連味を出したーーつまり、言うなれば、オーバーに演出したのだ。

一番効果的なのは

描写、設定、キャラクター、物語、演出を分かりやすくすることで、選考を通過する可能性が高まる。僕自身で言えば、これでデビューをした、ということになる。

物語を擬人化していうと、「はっきりした性格の、目鼻立ちの整った、グラマラスなボディの、キレキレに動く美女」に仕立て上げた、というところだろう。

では、「描写」「設定」「キャラクター」「物語」「演出」の中で、何が一番効いたのだろうか。

僕の感覚では、「演出」だ。

とにかく改稿前のものは、派手さがないというか淡々としていた。「ここが笑うポイントだ」とか、「ここが泣くポイントだ」とか、そういうことが分かるような起伏がなく、のっぺりとしていたのだ。

作者がある程度やりすぎだと思うくらいに盛って演出をしても、読む側にはその全てが伝わるわけではない。その作品と触れ合っている時間が圧倒的に違うから、作品に対する思い入れも違うし、場合によっては共有しているイメージにもズレが生じている。

だからとにかく、登場人物たちの感情の起伏や、見どころ、見得を切っているところは、「ここぞ!」と手にとって分かるように、外連味を出した方が良いだろう。

キミがエスパーか、読者がエスパーでない限り、感情を揺さぶるポイントとなる描写は、それと分かるように書かないと伝わらないのだ。

演出については別エントリ(「小説家が使う演出のテクニック」)でも触れている。ぜひ合わせて参照してもらいたい。

ちなみにいうと、次点は「設定」だろうか。

「これは作り物の物語です」ということが手にとってはっきりと分かるように、舞台装置をファンタジックなものにすげ替えたのだ。日本のどこかの普通の街ではなく、市民権を得ている、それっぽいものに。たとえばハリーポッターの世界を借りた、みたいに思ってもらえればいいだろう。

これは僕の性格やスタイルとも関係しているだろう。どちらかというと僕は設定に重きを置かないタイプなので、その部分にページを使うより、みんなが分かるモチーフを利用してさっさと物語を前に進めよう、と思ったわけだ。

設定を作り込むのが好きで、それが得意で、人にも端的にバッチリイメージが伝えられるなら、あえてそれを放棄する必要なんてどこにもない。当然だ。それはキミの魅力であり、強力な武器なのだから。

とにかく分からせること。分かってもらうように尽力すること。

まずはそこから全てが始まる。肝に命じておいた方が良いだろう。

おわりに

というわけで、選考を進めるための技術について触れてみた。

「分かる」というのは、よく言われているように、「分ける」ということに他ならない。

キャラクターAとキャラクターBの性格を「分ける」ことで、違いを明らかにし、それぞれを認識できるようにするとか。

感情の起伏を明らかにし、今の主人公がどんな気持ちなのか、気分が良いのか悪いのか、それを読者が認識できるようにするとか。

そうした輪郭をはっきりさせるという行為が、少なくとも初心者の書く物語ではことさら重要になる。

慣れてくればある程度ぼやけた輪郭の物語も書けるようになるだろうが、まずは目鼻立ちのくっきりとした物語を書いた方が良いだろう。

活用されたし。