物語の主人公は旅をする。
どこかの町に。あるいは、どこかの国に。もしくは、新しいコミュニティに。
外の世界を望んで自ら旅立つ場合もあれば、のっぴきならない理由で無理やり連れ出される場合もある。
ここでは、小説家は主人公にどんな理由で旅を開始させるのか、それについて見ていこうと思う。
そして、主人公が旅立つその理由を考えるにあたって、気をつけないといけないことについても触れたい。
目次
主人公が旅立つ理由
小説家は主人公に旅をさせる。
なぜか。
そうしないと話が始まらないからだ。
では、小説家はどういう理由をつけて主人公を旅立たせるのか。これには二種類に分類される。
- 消極的な理由
- 積極的な理由
それぞれ見ていこう。
消極的な理由
主人公が消極的な理由で旅立つというのはどういうことだろうか。
これは、旅立たないといけない、のっぴきならない理由を作って、主人公を今いる場所から弾き出す、というものだ。
例えば、どんなものだろう。
ゲーム「ドラゴンクエストⅣ」の五章では、村がモンスターに襲われて主人公以外の村人が絶滅してしまった。
映画「バトルロワイヤル」では、クラスで殺し合いを始めろと先生に言われ、反抗したら首につけられていた首輪が爆発し、それによって「冗談では済まされない何か」が始まっていることを全員が理解した。
小説「十二国記」では、主人公はモンスターに襲われ、他に選択肢がないような状態で訳も分からず麒麟と契約をし、異国の地に飛ばされた。
主人公ではないけれど、尾田栄一郎の漫画「ONE PIECE」のロビンも5歳くらいの身空で身寄りがなくなった。
彼らは、旅立ちたいから旅立ったのではなく、止むに止まれず旅に出ることになった主人公たちだ。
積極的な理由
これに対し、積極的な理由で旅に出る主人公たちも存在する。
主人公が積極的な理由で旅立つというのはどういうことだろうか。これは、主人公に目的を持たせ、自らの意思で旅立つようにさせることを意味している。
漫画「ONE PIECE」でルフィは「海賊王に、俺はなる」と自分の意思で海に出た。
漫画「HUNTER×HUNTER」でゴンはハンター試験を受けることを自分の意思で決め、島を飛び出した。
ディズニー映画「ズートピア」では、警察官に憧れていたウサギのジュディは、見事試験にパスして警察官になり、都会ズートピア行きの列車へと乗った。
彼らは、自らの意思で、自らの希望や夢を叶えるため、旅に出ている。
消極的な旅立ちと積極的な旅立ちの違い
消極的な理由で旅立つのと、積極的な理由で旅立つのと、何が違うだろう。
消極的な理由で旅立つ場合、大抵主人公は準備不足だ。何かに備えていたわけではなく、安穏と暮らしていた。
それに対し、積極的な理由で旅立つ場合、旅立つための準備をしている。自分のタイミングでスタートを切ることができるので、いけると思った段階で旅に出ている。
なので、この旅を始める理由は、その後の旅のトーンに少なからず影響を与えてくる。
その後の旅のトーンというのは、要するに主人公が「どうすればいいのだろうか」と頭を抱えているのか、それとも「よし、いくぞ」と前向きな気分なのか、そういうものだ。
言うなれば、その後の旅が「過酷な旅」なのか「望んでいた冒険」なのか、その違いに現れてくる。
では、積極的な理由で旅立った主人公が必ず「望んでいた冒険」をし、消極的な理由で旅立った主人公が必ず「過酷な旅」をするかというと、そうでもない。
積極的に旅立ったはいいけれど、過酷な旅を強いられることもあるし、その逆もしかり。
どんな理由で、どんな旅に出るのか
ここで一度、「旅立つ理由」と「どんな旅に出るか」をマトリクスにしてみよう。
- 「のっぴきならない理由」で、「過酷な旅」に出る。
- 「のっぴきならない理由」で、「望んでいた冒険」に出る。
- 「希望に満ち満ちた理由」で、「望んでいた冒険」に出る。
- 「希望に満ち満ちた理由」で、「過酷な旅」に出る。
では、例によって例のごとく、一つずつ見ていこう。
「のっぴきならない理由」で、「過酷な旅」に出る
これは順路と言えるだろう。先の「ドラゴンクエストⅣ」の五章や「十二国記」のパターンだ。
不可避な何かに遭遇し、好むと好まざるとに関わらず旅に出る。そこに待ち構えているのは苦行のような世界で、見るもの触るもの謎ばかり。生きていくのも精一杯。
主人公は、悩みながらも、誰かの助けを借りつつ、立ちはだかってくる様々な困難を乗り越えていく。
小説家にしてみたら、ある意味、一番描きやすい旅立ちだ。
「のっぴきならない理由」で、「望んでいた冒険」に出る
今回のエントリは、これを語るために書いた、と言ってもいいだろう。
この「のっぴきならない理由」で「望んでいた冒険」に出るパターンは気をつけた方が良い。よほどうまくやっても、違和感は払拭できない。
どうしても旅に出ないといけない状況になった、でもその旅は望んでいた冒険そのものだった。普通に考えると、少し変だろう。
でも、時々ある。
ディズニー映画「モアナと伝説の海」では、島に住むモアナは海に出たがる。が、父親に反対されて育つ。ある日、島が黒い闇に覆われて、はからずもモアナは今までずっと出たがっていた海に出ることとなる(出ざるを得なくなる)。そんな図式を取っている。
モアナは海に出ることができないという現状に満足していなかった。しかし、それでも自分から外に飛び出すわけでもなかった。
モアナは、島を覆う黒い闇に追われて、「仕方なく」島を出ている。そして、望んでいた外の世界を満喫する。
つまり、「のっぴきならない理由で、望んでいた冒険に出ている」のだ。
なぜ、こんな構図を取っているのだろうか。
それは、外の世界に出た後、モアナが「どうしよう」「おうちに帰りたい」と弱気で後ろ向きな発言をすると、どうにもテンションが下がるからだ。
ディズニーの映画を観る人達は、希望に満ちた楽しい世界が見たい。そう思っている。だから、グジグジと悩む姿を見せないようにしよう、そんな狙いから、少しいびつな作りになっているのだ。
「旅に出たい! だから出ます!」だと、親に反対されている手前、わがまま感が出る。でも、「旅に出たくない! なのに出なきゃいけない!」だと、後ろ向きすぎる。
そんなこんなで、この作品では、のっぴきならない理由で、望んでいた冒険に出る、という立て付けの悪い構図を採用している。
僕はディズニー映画の中で「モアナと伝説の海」は五本の指に入るフェイバリットだ。音楽も映像も物語もキャラクターもすばらしい。でも、この冒頭はやはり違和感がある。
違和感を払拭できるくらい素晴らしい物語を作ることができるならともかく、無難な正解を望むなら、これは採用を見送った方が良いパターンだ。
「希望に満ち満ちた理由」で、「望んでいた冒険」に出る
これは先の少年漫画系主人公がたどるパターンだ。
もちろん、主人公の前には色々な困難がやってくる。自分の非力さを悔やむ挫折も訪れるだろう。
ただしそれらは、旅をやめる理由にも後ろ向きになる理由にもならない。
なぜなら、その旅の先に、大きな目的があるからだ。その目的を達成するため、主人公は前向きに旅を続ける。
こちらも、「のっぴきならない理由で過酷な旅に出る」パターンと同じく、いくつもの困難が主人公を襲ってくる。
違うのは、「のっぴきならない理由で過酷な旅に出る」の序盤が主に人の助けを借りて困難を乗り越えていくのに対し、このパターンでは自分の中にある技術を駆使して、工夫をしながら困難を乗り越えていく、という点だろう。
準備をしている分、自分の中に問題への対処方法のかけらが眠っているのだ。
「希望に満ち満ちた理由」で、「過酷な旅」に出る
これは先にも例にあげたディズニー映画「ズートピア」を見てもらえれば分かりやすいだろう。
弱い動物を助ける立派な警察官になるという夢を抱え、田舎町から出てきたウサギのジュディは、都会「ズートピア」で違法駐車車両の切符きりという、望まない任務につかされ、しかもそれさえ完璧にこなせるわけではないという現実の厳しさを噛み締めていた。
この後のおきまりのパターンは、そんな主人公にチャンスがやってくる、というものだ。事実、この後、ジュディには行方不明者捜索という動物助けのチャンスを得る。
ちなみに、チャンスを手にしたジュディがその後どうなるかはぜひ映画を見てもらいたい。「ズートピア」はわかりやすい物語構造をもった映画なので、得るものは多いだろう。
おわりに
さて。主人公が旅に出る理由と、その旅がどんな旅なのかを交え、分類してみた。
少なくとも、腕に自信がないのであれば、「のっぴきならない理由で、望んでいた冒険に出る」という旅立ちスタイルはひとまず避けておいた方が良い。そのスタイルが抱えるあらゆる矛盾をうまくケアすることは難しい。
というか、どだい無理な戦いなのだ。プロでさえ粗を隠し通すことはできない。
そこに力を注ぐくらいなら、主人公が乗り越えるべきピンチのランクをもう一段アップさせた方がずっと物語が面白くなる。
主人公が旅に出る理由は、シンプルな方が良い。少なくとも、そこにこだわりがないのであれば。わかりやすさは面白さにつながる。
試行錯誤して、その物語にしっくりくる、これだと思う旅立ち方を主人公にさせよう。そのお膳立てがバッチリであれば、主人公と物語が自然と活き活きとし、臨場感が出てくるはずだ。
そうなれば、読者もうまく物語の波に乗ることができるだろう。
活用されたし。
ライトノベル作家。
商業作家としての名義は「くれあきら」とは別。今は主にブログで小説にまつわるアレコレを配信中。デビューから商業作家時代の話を「今、小説家になるために必要なもの(1)」に書いてます。