群像劇の書き方

群像劇をご存知だろうか。複数のストーリーがバラバラに進んでいたかと思ったら、最後にそれが一つにまとまる、というスタイルの物語形式が、その代表例だ。

ここでは、群像劇を書くときに小説家が何に注意を払っているのか、そして、何に注意をすれば群像劇としてそれらしい読感になるか、そのあたりについて語ってみようと思う。

小説家(書く側)から見た群像劇

実を言えば、群像劇を書くのは簡単だ。

もちろん、実際には考えなくてはならないことは多いのだけれど、群像劇の形態を採用することで、圧倒的にドラマが作りやすくなる。

まずはそれについて少し語ろう。

ポイント1:偶然を必然に感じさせやすい

群像劇ではドラマが作りやすい。その理由の一つとして、偶然を必然に感じさせやすいから、というものがある。

どういうことか。

例えば、ある人物Aが何百キロも離れた遠くの街に行き、浮気をするとしよう。そのとき、その街に偶然そのAの恋人Bがいて、浮気現場を見つけた、となると、「そんな都合よく鉢合わせになるか?」と思うに違いない。たとえ、恋人Bがその街に行くもっともな理由が後から明らかになったとしても、だ。

しかし、仮にこれが恋人B側の視点で、彼女がその遠くの街に行くもっともな理由がAの浮気デートと並行して丁寧に描かれたとしたら、これはむしろ俄然スリリングになっていく。

AはBとハチ合わせになるのか、それとも合わないのか、そんなスリルが生まれてくるからだ。

あるいは、情報の出し方次第では、「AとBは同じ街にいたのか!」と驚かせることもできる。

ポイント2:読者を引っ張りやすい

群像劇では複数の視点でストーリーが進む。つまり、どこかのタイミングで視点、場面の切り替えがなされる。

この切り替えを、例えば「主人公がピンチになった!」という段階で行うことで、「主人公はどうなってしまうんだ!」と読者に思わせることができる。そして先が気になった読者は、ページをめくる指を早める。

要するに、カメラの切り替えを利用することで物語をドライブすることができるのだ。テレビで気になる結末を見せる時、「続きはCMのあとで!」とCMを挟んでから結果をお披露目するテクニックを使うことがあるが、あれと同じだ。

群像劇の種類

上で見たように、群像劇は色々と小説家側(書く側)に都合が良く、比較的リーズナブルにプロ仕立てにすることができる。

では、そんな小説家の心強い味方とも言える群像劇には、どのような種類があるのだろうか。種類とそれぞれの特徴を押さえた上で、書き方のポイントを見てみよう。

そもそも群像劇とは、いうなれば一つの事件、出来事、場面を複数の視点で語る物語形式だ。だとすると、その種類は、その複数の視点がどのように交わるかで分類されるだろう。

その観点て考えると、まずは大きくこの三つに分類される。

  • 複合型
  • 集合型
  • 連結型

いつものことだが、僕が勝手に決めた分類だ。というわけで、説明が必要だろう。それぞれ見ていこう。

複合型

「複合型」というのは、のちに述べる「集合型」と「連結型」の両方の特徴をあわせ持ったタイプの群像劇のことを指す。

どうしてこのタイプから説明しようとしているかというと、大抵の群像劇はこの「複合型」の特徴を持っているからだ。

つまり、これから説明する「集合型」の群像劇と、「連結型」の群像劇は、基本的にそれ単品で存在するものではない。

「集合型」の説明に登場する作品や、「連結型」の説明に登場する作品は、純粋な「集合型」、純粋な「連結型」ではないことを、まずは思い留めておいてもらいたい。

集合型

「集合型」というのは、複数いる登場人物が、物語中で一堂に会する(=全員集合する)スタイルの群像劇を指す。

それぞれの視点(主人公)が同じ場所にいるだけの場合もあるし、同じ場所にすらいなくて同じ何かを見ている場合もある。が、同時に何かを共有することが、この「集合型」の条件である。

全員集合と書いたけれど、必ずしも全員が集合する必要はない。一部の登場人物が集まることでも、この「集合」の条件は満たせる。

一堂に会する回数が一回(シングルポイント)の場合もあれば、複数回(マルチポイント)の場合もある。それぞれ説明をしてみよう。

シングルポイント

シングルポイントの群像劇とは、例えば複数の主人公がそれぞれの物語をつづり、最後に同じ場所で会う、というものである。

シングルポイントの群像劇の例として、映画「ラブ・アクチュアリー」をあげよう。

「ラブ・アクチュアリー」は、ある年のクリスマスの物語で、複数の主人公がそれぞれに展開するラブストーリーだ。

少年が少女に恋をして勇気を出してアプローチをしようとしたり、首相が新任の秘書に恋をして、その女性にちょっかいを出した他国の大統領に公私混同気味に喧嘩を売ったり、様々な愛の形が描かれる。

そして物語の最後、登場人物たちは同じ空港でそれぞれの大切な人と会い、映画は終わる。

この、最後に「空港」という場を共有する点が、「ラブ・アクチュアリー」を「集合型」のシングルポイントタイプの群像劇に仕立て上げている。

このタイプの群像劇を書くためには、何らかの同じシーン(場所や、出来事や、映像。「ラブ・アクチュアリー」では「空港」という場所)を共有し、それぞれがそのシーンに対してしかるべき(キャラクターに合った)リアクションをする、ということに注意をすべきだろう。

そして、「集合」が一回なので、せっかく登場させた主要な人物は、ぜひとも全員その場にいてもらうようにしたい。

たとえ病院のベッドの上にいるとしても、スマホやラジオやテレビを通じて「集合」してもらうべきだ。

というか、最後に集合してもらいたいキャラクターのみを、主要人物として扱うべきだろう。

なお、「複合型」の説明でも触れた通り、この「ラブ・アクチュアリー」もご多分にもれず「集合型」の特徴のみを持った作品ではない。

「ラブ・アクチュアリー」では、登場人物同士が緩やかにつながっている。その点において、後に出てくる「連結型」の要素も持っている。「連結型」の群像劇についてはあとで触れよう。

マルチポイント

マルチポイントの群像劇とは何か。それは、一堂に会するポイントが複数回ある群像劇のことだ。つまり、複数回「全員集合」する群像劇である。

マルチポイントの集合型群像劇では、通常、最初の集合は「事態の拡散」を引き起こし、最後の集合は「事態の収拾」に繋がる。

単純に言えば、複数の主人公が出会って面倒ごとが起き、そしてそれぞれがそれぞれの身に起きた面倒ごとを解決しようとする中で、最後にもう一度出会うことで全体として事態が解決の方向に向かう、というものだ。

この例としては、「アメリカン・グラフィティ」をあげておこう。

「アメリカン・グラフィティ」では、冒頭で主要人物が「メルズ・ドライブイン」という名のアメリカンでロックンロールなレストランに「集合」し、ある人物(ロン・ハワード)がある人物(チャールズ・マーティン・スミス)に車の鍵を預ける。

レストランへの「集合」が、群像劇としての「全員集合」であり、車の鍵を渡すことが「問題の発生」となる。事実、鍵を借り受けた人物は、この車を使って街の中を走り、色々と事件を起こすことになる。

そして物語の終盤、再び「集合」をし、全員が見守る中、ある人物(ポール・ル・マット)と、ある人物(ハリソン・フォード)がカーレースをする。このレースで、いろいろなものにケリがつく。

物語の全編を通じて音楽が流れ、車が登場する。この音楽と車が、複数の視点をシームレスにつなげる役割を果たしている。

このタイプの群像劇を書くためには、上記の通り「事態の拡散=問題の発生」を集合によって引き起こし、「事態の収拾=問題の解決」も同じく集合によって片付けると、収まりが良いものになる。その点を意識して物語を組み立ててみるべきだろう。


連結型

「連結型」というのは、ある視点Aによる物語が終わり、次の視点Bによる物語が始まる時、視点Aによる物語の中に、視点Bの人物が登場していて、シームレスに視点同士が連結する、というものだ。

例としては「恋する惑星」や「グランドホテル」をあげよう。

「恋する惑星」を群像劇と呼ぶには少し無理があるが、一点連結型の例としてはうってつけだろう。

金城武のパートと菲王(フェイ・ウォン)のパートが、物語の舞台となっているあの屋台で連結しているのだ。そこで二人はすれ違い、そして主人公が金城武から菲王(と、トニー・レオン)にバトンタッチする。

「グランドホテル」は、登場人物同士がそれぞれに緩やかにつながっていて、シームレスに視点がシフトしていく。その点においては「ラブ・アクチュアリー」と同じだ。

このタイプの群像劇を書くためには、視点が変わる前後を、しりとりのようにつなげることに注力すべきだろう。

つまり、視点Aの物語の時に視点Bのキャラクターをどんな形であれ登場させ、視点の切り替わりに備える必要がある。そうすることで、視点Bの物語が読者の頭にすっと入ってくるようになる。

なお、「グランドホテル」も、「連結型」の群像劇の代表作であると同時に、一つのホテルの中の出来事ということからも見て取れる通り、「集合型」の要素も持ち合わせている。

繰り返しになるが、「集合型」の「ラブ・アクチュアリー」が「連結型」の要素を持っていたり、「連結型」の「グランドホテル」が「集合型」の要素を持っていたりする。

このように、群像劇を作るにあたっては「集合型」のテクニックと「連結型」のテクニックを活用して構築する「複合型」の形式を採用するのが一般的と言えるだろう。

モチーフの設定

「集合型」、「連結型」、「複合型」いずれを用いるにせよ、全体を通じて出てくるモチーフが、群像劇の大きな柱になる。

ここでいうモチーフとは、先の「アメリカン・グラフィティ」でいうと「音楽」と「車」。「ラブ・アクチュアリー」でいうと「クリスマス」と「愛」がそれにあたる。

モチーフを軸に物語を組み立てることで、全体をつなげやすくなることを、覚えておいた方が良いだろう。

思うに、群像劇は複数の話を最後にパズルのピースのようにピタッとはめて大きな一枚の絵を見せることにその醍醐味がある。その絵の美しさと、話と話のつながりの見事さが、群像劇の良し悪しを決める。

そして、パズルの土台となるのがモチーフだ。モチーフを通じてつながらないなら、群像劇である必要はない。少なくとも群像劇を書こうと言うのであれば、モチーフを通じて話をつなげるべきだろう。

図で示すとこんな感じだ。

おわりに

群像劇はドラマを作りやすい。と、同時に難しい点もある。

キャラクターが目まぐるしく移動するような物語の場合、どのタイミングに誰がどこにいるのか、その全体図を把握していないといけないし、それぞれの登場人物をそれぞれに輝かせないといけない。

ただ、群像劇を書くのは面白い。それは、驚きやスリルなど、読者を楽しませる仕掛けを仕込みやすいからだと僕は思っている。

もしキミが群像劇を読むのが好きで、まだ書いたことがないというのであれば、ぜひ一度書いてみることをお勧めする。ここに書いてあることも、少しは役に立つはずだ。

活用されたし。

ライトノベル作家。
商業作家としての名義は「くれあきら」とは別。今は主にブログで小説にまつわるアレコレを配信中。デビューから商業作家時代の話を「今、小説家になるために必要なもの(1)」に書いてます。