新人賞に応募しても確実に落ちる作品とは

きょうび、どのくらいの人が旧来の小説新人賞に応募し、昔ながらの方法でデビューをしようとしているのだろう。

ネットで自分の作品を簡単に公開できる今となっては、一時期に比べてその応募数は少なくなってきているとは思うが、それでもまだ一定量はあるに違いない。

そんな人たちに対して、こういう作品を応募しても100%落ちる、というものを、このエントリでは語ろう。

「確実に落ちる作品」を語る前に

このブログの他のエントリ「プロの小説家としてデビューしたいなら○○は書くな」でも触れた通り、今、昔ながらの方法でデビューを目指すことに対して、僕くれあきらはある種の警笛を鳴らしている。

別に新人賞に応募すること自体は当然否定しないし、出版社から本を出すことも否定しない。それ自体に問題などない。

では何が問題なのか。それについては先のエントリと、僕の経験談(「今、小説家になるために必要なもの(1)」)を読んでもらいたい。

確実に落ちる作品

旧来の方法で新人賞に応募をし、デビューをすることはオススメしないが、もしキミがまさに新人賞に応募をし、昔ながらの方法でデビューをしようとしているのであれば、それも一興だ。

僕にしてもデビューしたから色々と学べたこともあるし、楽しいことや嬉しいこともあった。悪いことばかりじゃない。

ただ、そんなキミに僕から一つアドバイスをしたい。

新人賞に応募しても、100%落ちる作品がある。それだけは応募しない方が良い。しても良いが読まれさえしないことを覚悟しておいた方が良い。

では、その100%落ちる作品とはなんだろう。

ずばり、夢オチ、メタフィクションだ。

これらの作品は、新人賞に出しても一瞬で落選対象になる。

なぜそれが落選するのか

なぜ夢オチ、メタフィクションは瞬殺されるのか。もちろん理由がある。

一つ目の理由

一つの理由は、思っている以上に多くの応募作品が、夢オチ、メタフィクションだからだ。

編集者たちはそれにうんざりしている(ライトノベルの、という但し書きがつくけれど)。

二つ目の理由

理由はもう一つある。

夢オチ、メタフィクション(例えば今までの話は全部誰かさんが書いていた小説の話でした、とか)の作品は「大抵主人公が絶体絶命、どうしようもない!」というところで、「実は夢でした」とか、「実はメタフィクションで今までの話は誰それさんの作品でした」とか、主人公の大ピンチ状態を解決するのに夢オチ、メタフィクションを利用している。

これは、明らかに作者の怠慢だ。そう捉えられる。想像力も創造力もない作家だと認識される。考えること、物語を組み立てていくことを放棄している文章だと受け止められる。

小説家は、夢オチ、メタフィクション以外で、その絶体絶命を乗り越えてナンボなのだ。そのために用意周到に伏線を張り、物語を組み立てていく必要があるのだ。

それを放棄した物語など、読むに値しない。

それを放棄した物語作者など、誰も評価しない。

おわりに

何度も繰り返しになるけれど、キミが「本を一冊だけ出せれば良い」と考えているならいざ知らず、今の時代、丸腰で小説の新人賞に小説を送りつけてデビューを果たしても、あまり良い結果にはならない。

しかし、小説新人賞に小説を送りつけようというなら、そして少しでも選考を進めたいと考えているなら、しかもあわよくばデビューをしたいと考えているなら、夢オチ、メタフィクションだけは出さない方が良い。出してもデビューはできない。

活用されたし。