キミはスケールの大きな物語を作りたいと思っているだろうか。もし思っているのであれば、あるものにこだわった方が良い。
これは小説技術の話ではないので、取り入れた瞬間に効果が出るだろう。瞬く間に、キミの書く小説のスケールが巨大化する。
もちろん、キミが小説を書く努力を惜しまないのであれば、という条件はつくのだけれど。
さて、何にこだわるのが良いのだろうか。
目次
スケールの大きい物語を書きたいなら、こだわるべきもの
スケールの大きい物語を書きたいなら、何にこだわるべきか。
結論から言うと、文字を書くキャンバスのサイズだ。
PCならモニタのサイズ。手書きなら原稿用紙のサイズ。
これが大きいと小さいでは、出来上がる物語に雲泥の差が出る。
なぜキャンバスが関係するか
なぜキャンバス=モニタのサイズが関係するのか。絵画を考えれば想像しやすいだろう。
米粒のキャンバスに書いたイラストと、野球場のモニタほどの大きさのキャンバスに描かれた絵画とで、どちらがスケールの大きい絵を描くことができるのか。
当然、野球場のモニタサイズのキャンバスの絵画だ。
それと同じく、小説を書く場合においても、キャンバス=モニタは大きい方が、書く小説のスケールが大きくなる。
ではなぜ、キャンバス=モニタのサイズが大きい方が物語のスケールも大きくなるのか。
それを語るにあたって、そもそもスケールが大きい/小さいとは何か、について少し考えてみよう。
スケールが大きい/小さいとは
物語のスケールを大きくするためには、何をどうすれば良いか。ざっくり言うと以下のいずれか、もしくは両方を大きくすればスケールは大きくなる傾向にある。
- 空間軸の尺(スケール)を広げる。
- 時間軸の尺(スケール)を広げる。
つまり、スケールの大きな作品とは、上記のいずれかもしくは両方が大きい作品ということになる。
それぞれ見ていこう。
空間軸の尺(スケール)を広げる
ご近所数百メートルの物語よりも、銀河系の向こう側まで移動する話の方が、単純にスケールが大きくなる。
その際、小説の中に登場する要素は増える。というか、増やさずに描くことは難しい。
ダイナミックに空間移動をするので、その動きや変化を描かないと、読者に伝わらないからだ。
時間軸の尺(スケール)を広げる
時間も、ここ数日の出来事を記した物語よりも、宇宙が始まった瞬間から人々が宇宙の果てにたどり着くまでの軌跡を描いた物語の方が、スケールは大きくなる傾向を見せる。
そしてやはり、スケールが大きくなると、読者の経験を凌駕する何かを描くことになる。もしくは描かずにはいられなくなる。
時計の針を一気に回すので、そのダイナミックさを、変化を描写しないと、こちらもやはり読者に伝わらない。
時空の尺(スケール)を広げると
スケールの大きい物語を書くためには、時間軸と空間軸の尺を広げる必要がある。その際、先に述べた通り、物語に登場する要素が増える。
言い換えるとこういうことだ。
物語のスケールを大きくしようとすると、登場する言葉の数とバリエーションが増える傾向にある。
言葉の数とバリエーションが物語のスケールを左右する理由
物語のスケールを大きくしようと思い立ち、言葉の量とバリエーションを増やそうとしたとしよう。
その時、仮にキャンバス=モニタに数十文字しか入らなかったら?
端的にいうと、書いている著者がしんどくなる。
一つの画面にみっちりと情報を書き込み、一文が画面上に収まりきらないとなると、その一文の全体像を把握するために前後のページにスクロールする必要が出てくる。
文と文の関係性を見ようとなると、さらにスクロールする必要が出てくる。こうなると、最初の文章を忘れてしまったりする。
結果として、一画面上でいくつかの動きや遷移が確認できるように、コンパクトな文章をつらつらと並べる傾向になる。
つまり、前後の文章の見通しが悪いと、文章と文章のつながりがおかしくなる可能性が高くなる。作者はそのつながりのおかしさが現れてしまうことを警戒し、一文を短くしてできるだけ見通しをよくしようとするのだ。
そして、一文が短いと、一文あたりの情報量が少なくなり、複雑さが失われる。短くてシンプルな文章が寄り集まると、結果として文章全体から重厚さやダイナミックさ、壮大さが損なわれる。スケールがコンパクトになる=小さくなるのだ。
だから、スケールが大きい話を書きたいと思うなら、画面上に表示される情報量は多い方が、物語のスケールが大きくなる。つまり、キャンバス=モニタが巨大である方が、物語のスケールが大きくなる。
逆に、コンパクトでスナック感覚で読めるような物語を書きたいというのであれば、スマホや画面の小さいデバイスで書く方が良いかもしれない。
その方が、読む側にとっても心地よいコンパクトな文章が書ける。
読者から見たキャンバスのサイズ
ちなみに、読者から見てもキャンバス=モニタのサイズは重要だ。スケールの大きな物語や映像は、スケールの大きいキャンバスで見た方が、その世界観をより深く味わうことができる。
映画「スターウォーズ」シリーズや映画「ハリーポッター」シリーズは、映画館で見た方がワクワクする。
漫画「Akira」や、漫画「風の谷のナウシカ」のコミックスのサイズが巨大なのは、通常のコミックスのサイズでは緻密に書き込まれたその世界を十分に堪能してもらえないからだ。
スマホでちょっとした小説を読むことはあっても、六法全書を読もうとは思わないし、コンピュータの専門書籍を読もうとも思わない。
消費者とコンテンツ提供者の間では、コンテンツのスケールに合わせて、自然と適切な消費デバイス(映画館、PC、スマホ)の選択がなされているのだ。
おわりに
というわけで、スケールの大きい物語を書くための手段の一つを記してみた。物語のスケールが小さいと悩んでいる人は、一度試してみても良いだろう。
もちろん、スマホの画面でも壮大なスケールの物語を書ける人はいるだろう。小さな画面でものすごいスケールの描写ができる人もきっといる。短い一文の積み重ねで、重厚な文章を紡ぐことができる才能だって、存在するはずだ。
しかし、そういう人たちはむしろ少数派であり、例外だろう。そういう人たちは、想像力と創造力をデバイスに縛られない天才だ。僕はそう思う。
自分がその例外にあたるという自覚がある人はさておき、壮大な話を書こうという人にとっては、キャンバス=モニタは大きいに越したことはない。
活用されたし。
ライトノベル作家。
商業作家としての名義は「くれあきら」とは別。今は主にブログで小説にまつわるアレコレを配信中。デビューから商業作家時代の話を「今、小説家になるために必要なもの(1)」に書いてます。