古来、物語には「開けるなの禁忌」というものがある。パンドラの箱しかり、玉手箱しかり。
小説家は、「絶対に開けるな」と銘打たれる箱を登場させる時、その箱をどう扱うのか。いや、箱に限らず、禁忌を登場させたら、どう扱うのか。
今回のエントリでは、それについて語ろうと思う。
目次
箱は絶対に開く
パンドラの箱や玉手箱の例を見ても分かるように、小説家が小説の中で「絶対に開けるな」と銘打たれた箱やら扉やらを登場させたら、それは開けられる。ほぼ100%の確率で、誰かの手によって。
「絶対に振り返ってはならない」と禁じられれば、ソドムとゴモラの物語のように、誰かは振り返る。
なぜか。なぜ箱は開けられ、禁忌は破られるのか。
そうしないと話にならないからだ。
「絶対に開けるな」なんてもったいぶっておきながら、本当に最後まで開かないとしたら、期待させられた読者の気持ちのやり場がない。
読者としては、箱は必ず開いてもらわないと納得できないのである。
だから小説家は、箱を開ける。登場人物に、箱を開けさせる。
箱にはとんでもないものを押し込めるべし
「開けるなの禁忌」の箱が登場したら、読者としてはその箱に開いてもらわないと納得がいかない。
そして、箱を開けたが最後、そこからは物語に多大な影響を与える「(主に不吉な)何か」が出てこないと、やはり読者は納得しない。
これを逆手にとって考えると、物語の中に「(主に不吉な)何か」を納得感ある形で登場させるために、その「(主に不吉な)何か」を「開けてはならない箱」の中に押し込めてしまっても良い、と言える。
そうすることによって、読者の合意のもと箱は開けられ、「(主に不吉な)何か」を読者にカタルシスを与えつつ物語の中に配置することができる。
箱を開けて文句を言われることはない。箱を開けて文句を言われることがあるとしたら、箱を開けたにも関わらず何も起きないか、出てきたものがものすごくしょぼいものだったか、そのどちらかだ。
なので、物語を転がすために、小説家は絶対に、登場させた「開けるなの禁忌の箱」を開けなくてはならない。そして、とんでもないものを飛び出させなくてはならない。
そして、話の都合上、どのみち開く箱なのだから、「絶対に開けるな」ともったいぶっておいた方が、読者に「これだけ禁止されるほどだから、とんでもない何かが入っているに違いない」と、期待をさせることができる。
当然、引っ張った分だけ、もったいぶった分だけ、それなりのものを飛び出させる必要があるが、そこは腕の見せ所。
散々もったいぶって、とんでもないものを出す。これがセオリーだ。
箱を開けるときに意識すべきこと
先に述べた通り、「絶対に開けてはならない箱」は、「絶対に開けなくてはならない箱」と、言い換えても良い。
では、箱を開ける理由はなんだろうか。
開けてはいけない、の誘惑に負けて開ける。
事情を知らない人が開けてしまう。
のっぴきならない理由で開ける。
気づいたらなぜか開いていた。
正直、どんな理由でも良い。気づいたらなぜか開いていた、とする場合には、そこに「誰が」「どうやって」「なんのために」開けたのか、というミステリー要素を盛り込んでも良いだろう。
開ける理由、開く理由は問わない。
ただし、箱が開く「時期」に対しては、意識的になった方が良いだろう。
箱が開く時期によって、飛び出してくるものが違うからだ。
箱から飛び出してくるものは?
箱は、開く時期によって飛び出してくるべきものが変わってくる。代表的な「箱の開く時期」と「飛び出してくるべきもの」は以下となる。
- 物語の序盤:物語が始まるきっかけが飛び出してくる
- 物語の中盤:物語を逆転させるものが飛び出してくる
- 物語の後半:物語を終わらせるオチが飛び出してくる
さて、一つずつ説明しよう。
物語の序盤:物語が始まるきっかけが飛び出してくる
物語の序盤で箱が開く作品の例として、映画「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」を挙げよう。
この映画では、冒頭で主人公のカバン(箱)が開き、そのカバンの中にいた奇妙な動物たちが逃げ出す。その動物たちを回収するところから、物語が始まる。
ちなみにこのカバンはただのカバンではなく、開けて中に入ると、ドラゴンやサンダーバードといった想像上の動物たちが住む、もう一つの世界が広がっている。
冒頭で箱が開く場合、そこから出てくるものは「物語が始まるきっかけ」だ。
物語は、箱から出てきた「何か」をどうにかする過程で、さらなる事件や出会いが訪れるというのが、スタンダードな流れと言えるだろう。
物語の中盤:物語を逆転させるものが飛び出してくる
中盤で箱が開く話の例として、三浦建太郎の漫画「ベルセルク」十三巻の事件を挙げるとしよう。
囚われの身となり、手足の筋を切られ、ろくに食事を与えられずに干物のようになった美しき騎士団長グリフィスが、そんな搾りかすになりながらも頂点(王)を目指すため、悪魔に魂を売り、仲間たちを生贄にする。そして自身の復活を遂げる。
箱こそ出てきてはいないが、禁忌の何かに手を出すという意味では、構造的には「開けるなの禁忌」と言える。
そして、この事件を境に、物語の様相はガラリと変わる。
中盤で箱が開く時、箱の中から出てくるのは、「形勢逆転のための何か」だ。
箱の中から出てくるもので争いの流れが変わったり、行き詰まっていた謎にヒントが与えられ、話が展開したりする。
立場上不利な側が箱を開けることで、形勢逆転をはかる。見事に逆転し、話が動き出す。
逆にいうと、間違っても圧倒的強者が敵にとどめをさすために箱を開けてはならない。
ちなみにベルセルクのこのシーンはなかなかショッキングでなにかと物議を醸している。未見の人は覚悟してチェックされたし。
物語の後半:物語を終わらせるオチが飛び出してくる
物語の最後に開く箱といえば、浦島太郎の玉手箱だろう。
ここでは、狙いが分かりやすくて再利用もしやすい「君の膵臓をたべたい」を例として取り上げたい。
「君の膵臓をたべたい」では、不治の病に犯されたヒロインの日記をクラスメイトの主人公が偶然読んでしまうことから話が始まる。
その後、ヒロインはこの日記を絶対に見るなと主人公に伝え、内容を隠しつつ日記を書き続けていた。
そして物語の最後。ヒロインの死後に、その日記は披露され、主人公への心情が語られていることが明らかになる。恋人とも友達とも違う、主人公に対する感謝の気持ちが。
物語の終盤で開く箱から出てくるのは、「物語を締めくくるための何か」だ。
感謝を伝えるための手紙だったり、愛情を伝えるための映像だったり、真実を伝えるための小道具だったり。
他の場所で開く箱と違って、ここで出てくるものは、今までの話の流れから確実に納得できるものである必要がある。
この世を去ったヒロインが残した日記や手紙が、今まで出てきもしなかった第三者に対する愛のメッセージでは話が成り立たず、誰も納得しない。誰もそんなものは望んでいない。
小説家は、箱の中身によって、張った伏線を回収し、サプライズと納得感を提供する必要があるのだ。物語の最後に箱を開けるときには、その点に注意したい。
おわりに
物語の中で箱を出すとしたら、その箱は都合よく開けて良い。逆に、箱が開かないと収まりがつかないと肝に命じておくべきだろう。
そして、箱が開く時期(前半、中盤、後半)に応じたサプライズを読者に届ける。それが小説家のミッションだ。
人類が物語を作り始めた初期の初期から存在していて、今の今まで生き延びている禁忌の仕掛け。この人類の叡智を利用しないではないだろう。
活用されたし。
ライトノベル作家。
商業作家としての名義は「くれあきら」とは別。今は主にブログで小説にまつわるアレコレを配信中。デビューから商業作家時代の話を「今、小説家になるために必要なもの(1)」に書いてます。