小説に葛藤が必要と言われる理由

小説には「葛藤」が必要だ。少なくとも、そう言われることがある。

なぜ、小説には葛藤が必要なのか。そもそも葛藤とは何か。今回のエントリでは、そのあたりを見ていこう。

葛藤とは?

そもそも葛藤とは何だろう。単純に言えば二つのどっちを選択すべきか悩むことだ。ハムレットの「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ」という、あれである。

しかし、物語の主人公は必ずそうした悩み=葛藤を抱えているだろうか。別にそうでもない。

漫画「ONE PIECE」のルフィは(最近はともかく初期は)モヤモヤ悩んではいないし、アニメ「ルパン三世」だって基本そんなに悩まない。アンパンマンや水戸黄門なんてピクリとも悩まない。けれど、それでも物語は成立する。

そう。「葛藤」という言葉のチョイスがまずいのだ。おそらく英語の「conflict」を、昭和の誰かさんがハリウッドの脚本術の本あたりを訳すときに「葛藤」と訳して、それが広まったのだろう。

主人公がゴール=あるべき姿に向かおうとする。それを妨げる逆風が、対立だ。小説に必要な「葛藤」は、そういう逆風であって、別に心の中で「Aか、Bか。どっちにすべきか」と思い巡らせ悩むことが必要なわけではない。

葛藤=対立が必要な理由

では、なぜ小説には葛藤=対立が必要なのだろうか。

これには以下の二つの側面からの理由がそれぞれ存在する。

  • 小説家視点からの理由
  • 読者視点からの理由

それぞれ見てみよう。

小説家視点からの理由

小説家からすると、対立(=主人公に立ちはだかるトラブル)を起こすだけで読者が物語に興味を持ってくれるようになるので、対立を起こさない手はないのだ。

身も蓋もない言い方になってしまうけれど、逆に、対立の一つも書かなければ、物語の間が持たない。

敵の出てこないマリオなど面白くないし、ゲーム実況も最初は敵がいないことをネタに笑えるかもしれないが、そのうち黙るか別のことを語り出すだろう。

それならむしろすぐ死ぬゲームの方が話のネタには尽きない。

地球が始まってからの歴史を全46億巻で記してあるとしたら、最初の数十億巻は生物さえ出てこないからそんなもので読者を引きつけておくことはできない。

事件もなく読者を引きつけることができるなら、それは素晴らしい能力だ。一部の作家はそうした力を持つ。文体だったり、比喩だったり、主人公の脳内妄想だったり、そうしたもので、物語内の現実では事件を起こさずに、読者にページを捲らせることができる小説家は存在している。

だが、基本的には事件を起こした方が手っ取り早いし、事件を起こさずに読者を掴まえておくよりも簡単だ。そしてそれは小説技法として人に教えることができる=人から学ぶことができる。つまり、ある程度の量産が可能になる。

事件を起こした方が、経済的なのだ。

読者視点からの理由

読者の視点に立ってみよう。

基本的に、人はぼーっとしたい時にはぼーっとしている。

逆に、本を読んだり映画を見たり、物語を消費賞としている時、大抵人は何か刺激や楽しみを求めている。冒険をする代わりに映画「インディージョーンズ」を見るのだ。そしてスリルに満ちた冒険をした気分になりたいのだ。

魔法が使えないけど使いたいから映画「ハリーポッター」を見て、魔法の世界の住人になった気分になるのだ。

お姫様じゃないけれどお姫様に憧れるから、ディズニープリンセスの映画を見るのだ。そしてお城に住んで王子様に求婚される気分になるのだ。

貧弱な肉体だけれど屈強な体に憧れるから、バトル映画やカンフー映画を見るのだ。そして自分よりもずっと強そうな男を完膚なきまでに倒しきる気分になるのだ。

もし仮に、偶然手にした小説が、凡庸な人生を送っている男の、息を吸って吐いているだけのような日常を綴ったものだとしたら?

そんな小説を読みたいとは思わないだろう。

小説では、現実以上の何かが起きなければいけないのだ。現実以上の何かが起きるからこそ、僕たちは、小説を読み、物語を楽しむ。小説家はそれに応える必要がある。

対立が物語に与える影響とは

僕たちは、特別なことが起きない日常に飽きている。だからこそ、退屈から逃げ出すように物語の世界に浸り、そこで起きる特別な何かを疑似体験しようとする。

では、疑似体験をよりリアルに感じるためにはどうすれば良いか。主人公と読者のシンクロ率を上げることが、方法の一つとしてあげられる。

その場合、最初は主人公は読者と同じレベルの人間としておいた方が良い。

そして、その後、主人公を成長させ、その成長後の姿にふさわしい、より壮大な世界(より強い敵や、より高度な魔法が飛び交う世界や、より巨額が動く世界)を活躍の場として提供する。

そうすることで、主人公が体験する壮大で素晴らしい世界も、疑似体験として読者側にスッと入ってくるようになる。より自分のものとして感じやすくなる。

その主人公の成長は、主人公に立ちはだかる困難=対立によってもたらされる。

だから、物語には対立が必要になる。

対立を無効化する主人公

では、その対立の際、主人公が圧勝だったらどうだろう。対立する何かが、対立項として貧弱あるいは無効と映るような主人公だったらどうだろう。

オーソドックスでオールドスタイルなタイプの作家や編集者からすると、それはNGだろう。主人公に楽をさせて良いことはない。そう考える。

しかし、昨今の作品では、圧倒的な力で無双していく物語もあるし、それを好む読者がいることも証明されている。

このあたりの温度感や可能性については、セオリーを押さえつつも、遊びを持たせて試してみるのも良いだろう。読者から思わぬ反応があるかもしれない。

ただ、正直相当センスが求められるところなので、出版社から出される書き下ろしの小説では試さない方が良いだろう。というか、編集者が許可しない。

異世界転生系で無双を展開する物語は、大抵、転生前はさえない中年サラリーマンとかニートだ。そうすることで、読者との距離を縮めようとしている。

その後、転生後の異世界で、「これだけの条件が揃っていれば俺でも無双できそうだな」と読者は主人公にシンクロするのだ。

要するに、単純に無双をしているわけじゃない、と言う話。

おわりに

というわけで、葛藤=対立の必要性について書いてみた。

どんなタイプの対立=葛藤が存在するのかとか、その対立項目への対処方法のセオリーはどのようなものかとか、そういった話を、機会があれば別のエントリで書きたいと思う。

とりあえずここでは、対立=葛藤の重要性だけを訴えて終わりとしたい。

活用されたし。