小説家が駆使する「四種の嘘」とは?

そもそも小説家というのは、嘘つきだ。物語という嘘の塊を吐き出すのだから、嘘つき以外のなにものでもない。

そして、そんな嘘つきの小説家たちは、小説を書くにあたって大きく四種の嘘を使っている。

今回は、その四種の嘘について話をしよう。嘘に自覚的になることで、キミの物語に一層のメリハリが出るはずだ。

小説の中でだまされるのは誰か?

ここに一冊の小説があるとしよう。この中で、嘘をつかれ、だまされるのはだろうか。

まずは「読者」だ。小説家は物語の展開で「読者」をだますことができる。

もう一つは「登場人物」だ。「登場人物(の皮を被った小説家)」は、物語の中で「登場人物」をだますことができる。

「読者」と「登場人物」。この二つの要素のうち、誰をだますか、という観点で、嘘を四つに分類してみよう。次のマトリクスを見てもらいたい。

  • 登場人物をだます&読者をだます:どんでん返し
  • 登場人物をだます&読者をだまさない:ジレンマ
  • 登場人物をだまさない&読者をだます:叙述トリック
  • 登場人物をだまさない&読者をだまさない:物語上の真実

誰と誰をだますかによって、その嘘が物語に与える効果が変わってくる。それぞれの分類を、一つずつ見ていくとしよう。

登場人物をだます&読者をだます:どんでん返し

登場人物が登場人物をだましつつ、読者もだますとなると、これはどんでん返しの効果をもたらす。

例えば、ディズニー映画「リメンバーミー」では、黄泉の国に紛れ込んだミゲルは、自分の祖先であり憧れの歌手でもあるデラクルスに会うため、死者たちの歌のコンテストに参加し、ヘクターと呼ばれる胡散臭い男と歌のコラボレーションをする。

その後、実はミゲルが憧れていた曲を作ったのがデラクルスではなくその胡散臭いヘクターで、しかもデラクルスではなくヘクターが自分の祖先で、さらにヘクターの胡散臭さにはわけがあったことが明らかになる。

今まで真実と思われていたことがひっくり返り、本当の事実が明らかになって、ミゲルとヘクターは驚く。観客も、その事実に驚く。

登場人物と読者をまとめてだますと、その後に真実を明らかにすることで、どんでん返しを作り出すことができる。

逆にいうと、どんでん返しの状態を作り出したいのであれば、読者をだますと同時に、登場人物にも何らかの真実をひた隠しにしておく必要がある。敵をだますにはまず味方から、というわけだ。

どんでん返しについては別エントリ「どんでん返しを作るための二つのコツとは?」で詳細を触れるとしよう。

登場人物をだます&読者をだまさない:ジレンマ

登場人物をだましつつ、読者をだまさないというのはどういう状況だろうか。

この典型パターンはヒッチコックの映画だ。サスペンスの神様の映画には、この手法がよく登場する。

例えば殺人犯が部屋に隠れているとする。それは読者には明らかになっている。つまり、読者はだまさない。

しかし、登場人物は殺人犯がその部屋にいることを知らずに、のこのこと入っていく。つまり、登場人物はだまされている状態だ。

そうなると、どうなるだろうか。

読者は真実を知りつつ、登場人物はそれを知らない。読者と登場人物の持っている情報量にギャップが生まれる。

このギャップにより、読者はそわそわとし、登場人物に危険があることを伝えたい思いにかられる。

しかし当然それはできない。そのジレンマが、読者の感情を揺さぶり、作品に緊迫感を与える。

この「読者と登場人物の持っている情報量のギャップ」は、使い方によっては、そわそわするような感情以外にも、切ない感情や、ニヤニヤしてしまいたくなるような感情なども与えることができる。万能薬みたいなものなのだ。

これについても別エントリ「小説家はいかにして読者をハラハラさせるか」で扱うとしよう。

登場人物をだまさない&読者をだます:叙述トリック

登場人物はだまさないけれど、読者をだます。これは叙述トリックの手法だ。

小説では、文章であることを良いことに、例えば登場人物がみんな老人だったり、途中から語り部である主人公が入れ替わっていたりさせることができる。

しかし、そのとき、読者をだますとしても、小説の中の人物たちにはその叙述トリックは通用しない。通用させてはならない。老人は老人として扱われなくてはならないし、入れ替わった後の人物は入れ替わった後の人物として扱われなくてはならない。

だから、映像化には極端に向かない。

これについても別エントリ「叙述トリックの作り方」で扱う。

登場人物をだまさない&読者をだまさない:物語上の真実

登場人物も、読者もだまさない嘘。つまり、それはその物語上での真実だ。

例えば、ハリーポッターでは魔法が当たり前のものとして存在するし、バックトゥーザフューチャーでは未来と過去に行くことができる。

現実からすれば、それはある種の嘘だが、同時にその物語の世界における真実でもある。誰もそれを嘘だと思って物語を見ない。別の言葉で言えば、設定とか世界観とか、そう言う言葉で語られるものだ。

逆に言うと、この嘘、その世界の真実は、「実は嘘でした」となってはならない。

ハリーポッターで、「実はみんな魔法なんて使えなくて、使えるふりをして遊んでいました」とか、バックトゥーザ・フューチャーで「実は過去に行けるとか、未来に行けるとか、そんなのは嘘で、タイムトラベルをしているふりをしていました」とか、そんな裏切りをしてはならない。

小説家は、この嘘をつき通さないといけない。そして、真実として扱わないといけない。少なくともその物語の中では。ミッキーマウスに「中の人」なんていないのだ。

これについても別エントリ「設定を考える時、小説家として意識すべきポイント」で扱おう。

おわりに

というわけで、四種類の嘘の紹介をした。

それぞれの細かい話は別でしようと思う。ここでは、ひとまず嘘にはこういう種類があることを押さえておいてもらいたい。

そしてその種類の嘘をつくとき、誰をだますのかということを意識して、うまい嘘をついていこう。小説家にとって、嘘は武器なのだ。

活用されたし。