小説の物語展開に正解/不正解は存在するか

さて、突然だけど質問だ。小説の物語展開には、正解/不正解が存在するだろうか。

今回、それについて考えてみよう。

正解/不正解

小説の物語展開に正解/不正解はあるのだろうか。

もちろん、ない。

仮に「物語展開における正解/不正解の基準」なんてものが存在していたとすれば、その存在自体が創作の妨げになるだろう。

「この小説の主人公は、物語において一切の成長をしていないため、本書は小説の基準を満たしていない」なんて、冗談としては面白いけれど、実際にあったら窮屈すぎる。小説はもっとずっと自由で良い。

定石/悪手の存在

しかしながら、それでも物語の展開には(正解/不正解とまでは言わないにしても)、定石/悪手と言われるようなものが存在するのもまた事実だ。

だからこそ、この「小説家の手のうち」というブログ(僕が思う小説の定石と悪手を解説するこのブログ)が成立していると言っていいだろう。

そして、小説家たちは意識的、もしくは無意識のうちにこのブログに書いているようなテクニックを駆使して物語を組み立てている。

事実上の不正解

正解/不正解はない。定石/悪手はある。ただ、物語展開における悪手は、事実上の不正解だと僕は思っている。

というのも、素晴らしい物語に対しては一定のアンチ勢力がいる程度であるのに対し、不正解のルートを辿った物語はおよそすべてと言って良いほどの大多数の人が、その物語展開に「否」を突きつけるからだ。そして言うのである、「これは駄作だ」と。

映画なら役者やカメラワークや音楽に別の価値を見いだすこともあるだろうが、少なくともストーリー展開のチョイスの失敗を認めた上で、別の価値を見出す。その下手な物語展開を(苦し紛れに擁護する声はあっても)賞賛する声はない。

つまり、人間が面白いと思うストーリーには様々あるけれど、人間がつまらないと思うストーリー展開は人類で概ね一致しているのだ。

これはどういうことか。

不正解が存在している、ということに他ならない。

悪手の根底にあるもの

では、人間がつまらない=不正解と思うストーリーに共通するものとはなんだろうか。

僕自身まだ見極めきれていないけれど、一言で言えば「リズムのズレ」だと現時点では思っている。

例えば、二人の男子がいて、主人公の女子がどちらの男子を選択するか、という状況があったとする。主人公はどちらの男子を選ぶべきか決めきれず、そしてついに最終話を迎えたとしよう。

この場合、二人の男子の扱いが同じ程度であれば、どちらを選択してもそれなりに文句が出るだろうし、逆に「そっちを選んで正解!」という人たちも出てくるだろう。どちらの男子も選択しない(=両方の男子を選択する)、となれば、それもまた賛否両論出てくる。

ただ、賛否両論あるにせよ、どちらかの男子を選択する、もしくはどちらの男子も選択しない、というのであれば、物語におけるリズムはズレない。

しかし、仮にどちらを選択するかのせめぎ合いの中、いきなり最終話で宇宙人が地球に攻めてきて、どちらの男子を選択するかどころではなくなったり、あるいはいきなり最終話で初登場した新参者の第三の男子と主人公が最後数ページで引っ付いたとしたら、どうだろうか。

それがギャグでない限り、読者は受け入れられないだろう。

上の例は少し極端なものだけれど、要するにそういうことだ。それまでの流れを断ち切り、しかも納得感もへったくれもない展開がなされると、読者は受け入れることができない。

なぜ人はそれを受け入れられないか

物語において、変な方向に話が突然進むと、人はそれを受け入れられない。

予想外の展開、というのは、実は想像の範囲内における予想外であって、本当にそれまでの流れを全く無視するレベルの予想外のことが起きたら、読者は呆れて、その後憤慨する。

それまでの話の流れ・リズムをいきなり崩し、突然別の流れ・リズムを入れ込んでくることは、それまでの物語を無意味なものにする。

それは読者からすると、それまで読み進めてきた自身の時間を無駄にされたことに他ならない。

読者はそれに憤慨する。それまでの物語に思い入れがあったなら、なおさらだ。

だから、話の展開の中に「リズムのズレ」がある物語は、人類にとってそれはもはや「物語」と呼べる代物ではなくなるのだ。

おわりに

物語とは、ある一つの世界の、ある一つ(もしくは複数の)視点から見た、一連の流れだ。その一連の流れが、物語の中の何かを変え、それが読者へと伝播する。それが、読書という体験である。

だから、その物語を伝えるグルーヴが、意味も意図もなく拍子変わりされても、乗るに乗れない(もちろん、そこに意味と意図があり、それが効果的であれば別だ)。

なのでーー

文と文、節と節、章と章、巻と巻の繋がりを出来るだけ滑らかにし、時に想像の範囲内における予想外の展開を用意して、読者を刺激すること。

読者を楽しませることに意識を巡らせ、読者がその瞬間どのような心境であるかを想像し、その心境を踏まえた物語を綴ること。

読者がそれまでキミの小説に使ってきた時間を無駄にしないよう心がけること。

こうした努力が、悪手を打たないための助けとなるはずだ。

活用されたし。