天才を描く三つの方法(芸術編)

以前、学術分野での天才を小説(をはじめとする物語)の中で描く方法を、「天才を描く三つの方法」で記した。

そのエントリで触れたのはいわゆる天才的に頭が良い人たちの描き方だったわけだが、では芸術方面、例えばピアノや絵画や小説などの方面の天才を描きたい時にはどうすれば良いだろうか。

それについて、本エントリにて示したいと思う。

芸術方面の天才を描く方法

芸術方面の天才を描く方法は、学術方面での天才と同じく、大きく三つある。

  1. 周りがすごいと騒ぐ
  2. (作品以外で)本人自体のすごさを見せる
  3. 天才性そのものを見せる

図で言うとこんな感じだ。

では、それぞれ見ていこう。

周りがすごいと騒ぐ

ある芸術家の天才性を示す、もっとも手っ取り早くて簡単な方法は、周りが「彼/彼女は天才だ」と騒ぎ立てることだ。その天才の演奏や絵画を見て感動したり、小説を読んで「魂を揺さぶられた」と言ってみたりすることで、天才性を示すことができる。

他には、名だたる音楽コンクールを総なめとか、文学賞を総なめとか、賞を与えて権威づけをする騒ぎ方もある。

現実の世界でも、何がすごいか分からない現代芸術を、権威ある人が賞賛していると、世の中的にも「あれがすごいらしい」となる。それと同じだ。

この手法を用いると、その天才の作品/プレイの凄さ自体を描写せずとも、彼/彼女が天才であることを伝えることができる。

というか、実際の作家が、そのすごさを描写することができない/する技量がない場合の常套手段だ。

便利な分、これだけで乗り切ろうとすると、説得力がないため、無理が生じる。他の手段も取り入れる必要があるだろう。

(作品以外で)本人自体のすごさを見せる

芸術家の天才性を表現する別の方法として、その芸術家が持っているキャラクター的特殊性や凄みを物語の中で見せつける、というものがある。

例えば映画「響-HIBIKI-」では15歳の少女があらゆる場面で暴力を振るい、エキセントリックな行動をする。これにより、尋常ではない主人公だから尋常ではない作品を作るに違いない、と読者に思わせる。

これは、ゴッホが自分の耳を切り落としたとか、芥川が自殺したとか、太宰が入水したとか、そういう天才=異常のロジックが事実ベースとして存在することを背景にしている。

異常な行動をとるということは天才の証であり、天才なら異常な行動をとるのが普通であろう、というわけだ。

これもよく使われる手法だが、「周りがすごいとさわぐ」と同じく、作品自体が出てこない以上、説得力という意味ではいま一歩だ。主人公の行動や発言の特異性だけで乗り切るのは避けた方が良いだろう。

そのエキセントリックな行動や発言が、よほどクリエイティブでエンタテイメント性に長けたものであれば別だけれど。

天才性そのものを見せる

登場人物の天才性を示すもう一つの方法は、その天才の作り出した創造物を、実際に小説の中で展示することだ。

このパターンを採用している作品としては、例えば河合克敏の漫画「とめはねっ! 鈴里高校書道部」がある。

「とめはねっ! 鈴里高校書道部」では、実際の書家に文字を書いてもらい、それを漫画に載せる。すごいうまいキャラの文字は実際にものすごくうまい書家に書いてもらう。それなりにうまいキャラの文字は、すごいうまい人が「それなりにうまい文字」を書く。

そんな風にして、漫画の中に天才を取り入れている。要するに分業だ。作者の領域を超えたものがそこにある。本物がディスプレイされているのだから、すごくないはずがない、というわけ。

ただ、残念ながら、小説ではこの分業を使うことが難しい。

というのも、小説は基本的に文字という記号で表現をするものだからだ。

天才俳人のキャラを登場させ、実際に天才俳人に俳句を読んでもらうとか、あるいは天才小説家のキャラを登場させて、実際に天才小説家に短編を書いてもらうなど、自分の凡才さを斬新な形で認める行為に他ならない。滑稽にもほどがある。

自分自身が天才小説家、天才俳人になる覚悟がないのであれば、天才小説家、天才俳人など出さない方が良い。

小説において、作中に天才の俳句や小説を入れ込む手段を使うことができるのは、本当の天才のみだろう。

おわりに

というわけで、芸術方面の天才を表現する方法を記した。

果たしてキミは自分の小説に天才を登場させるだろうか。

登場させる/させたい、と答えたキミに拍手を送りたい。ハイリスクな道を進むのは、なかなか大変だが、それも一興だ。

天才を書こうとするキミに、作品を面白くするヒントを一つ。

せっかく天才芸術家を引っ張り出すなら、その天才の作品なりプレイなりのどこがすごいのか、どこがそれほど天才なのか、それを説明・解説した方が良い。

というのも、芸術鑑賞のノウハウは、それ自体がエンタテイメントになる。

鑑賞、分析、解説、場合によっては改善。そうしたものを含めて描けば、天才芸術家の登場が作品に良い効果を与えるだろう。

うまくいけば、知的に面白くなる上に、天才性の補強にもなる。一石二鳥だ。

活用されたし。

ライトノベル作家。
商業作家としての名義は「くれあきら」とは別。今は主にブログで小説にまつわるアレコレを配信中。デビューから商業作家時代の話を「今、小説家になるために必要なもの(1)」に書いてます。