プロの小説家としてデビューしたいなら○○は書くな

キミはプロの小説家として出版社からデビューしたいと思っているだろうか。もしそうだとすれば、やるべきではないことがある。

このエントリでは、それについて見ていこう。

プロの小説家としてデビューするということ

ネットが普及した今の世の中では、自分の書いた小説を世に送り出す方法は山ほどある。ブログにあげてもいいし、小説投稿サイトに投稿してもいいし、KDP(Kindle Direct Publishing)で売ってもいい。

どれだけ読まれるかはともかく、世間に送り出すことは実に簡単だ。

しかし、そんなご時世にも関わらず、昔ながらの方法、つまり出版社の主催する新人賞に応募して賞を勝ち取ってデビューをしようとしている人がいるとしたら、まずは僕くれあきらの経験談(「今、小説家になるために必要なもの(1)」)を読んでもらいたい。

僕はそのカテゴリの中で、今、昔ながらの方法でデビューを目指すことに対して、ある種の警笛を鳴らしている。

もちろん、出版社から本を出すこと自体を否定するつもりはない。

けれど、出版社から本を出す前にやっておくべきことがあるのだ。そのことを、先の体験談の中で記している。

今回のエントリでは、いずれプロの小説家として本を出したいと思っている人たちに向けて、やるべきではないことをお伝えしようと思う。

ちなみに、盗作のような犯罪的行為は、プロ・アマ問わずやってはならないので、ここでは語らない。

文字通り、それは論外だ。論ずるに値しない。

プロとしてデビューしたいなら○○は書くな

「プロとしてデビューしたいなら○○は書くな」

この○○に入る言葉は何だろうか。

答えを言おう。習作」だ。

習作を書くという発想はやめた方が良い。時間がかかるうえに、デビューにつながる力はつかないからだ。

趣味で習作を書く分には一向に構わない。いくらでも書いていいと思う。楽しいなら書くべきだ。

だけど、プロを目指すという意味においては、いくら習作を書いてもプロになることはできない。

そもそも習作における練習とは

そもそも、習作における「練習」とは何だろうか。

それは、ジャンル(ミステリー、恋愛など)や技法(一人称、群像劇)のバリエーションを増やすための練習だったり、扱える物語スタイル(勧善懲悪もの、悲劇もの)のバリエーションを増やすための練習だったり、あるいはそもそも小説を書くという行為の練習だったり、だいたいそんなものだろう。

しかし、出版社の賞を獲得しようというのであれば、そこで試されるのは、キミがどれだけ幅広い小説技術を持っているかではない。

プロになるために練習すべきは

プロに求められるのは、一つの作品に向けて全力で思考をめぐらせ、その作品をいかにワンランクアップさせるか、さらに面白くするにはどうすれば良いか、それを何十回、何百回と繰り返し考え直し、書き直す力だ。

もう無理だ、と何十回も思い、声に出して叫びながら、それでもさらに書き直していく力だ。

そして、その結果、面白い小説を完成させる力なのだ。

だから、練習すべきは横幅の小説技術じゃなく、徹底的に作品をより良くしていくというアプローチであり、より読者を楽しませるためにはどうすれば良いか、絶え間なく考えることである。

上の図で言えば、横幅を広げることではなく、縦に伸ばすことこそが、プロになる近道であり、プロとしてもっとも求められる力だ。

一つの作品を徹底的により良くする練習をする、そういう習作なら意味がある。だが、そうなればその作品はもはや習作ではなく、立派な作品だろう。

「今回のは習作だから」と言い訳じみた心構えで小説を書き、せっかく書いたからという理由で応募して、「ひょっとしたら……」なんて期待するのはやめた方が良い。そんなものは箸にも棒にもかからない。

さすがにそこまで甘くはない。

おわりに

というわけで、プロとして出版社から本を出したいなら、一作に本気で取りかかるべし、ということがこのエントリの結論だ。

僕くれあきらも、小説なんてデビュー前には数えるほどしか書いていなかったけれど、それでもデビューできたわけだ。

その秘訣は、一つの作品を何度も何度も見直し、「書いた。面白い。十分だ。そして、さらに面白くするためにはどうすれば良いか」と繰り返し自問自答したことにあると考えている。

僕くれあきらの経験談(「今、小説家になるために必要なもの(1)」)にも書いているけれど、正直、今の時代に裸のまま新人賞に応募をしてデビューしようなんてマネはオススメしない。

けれど、どうしても(そしてできるだけ速やかに)出版社の新人賞を受賞したいのであれば、ここに書いてあることが多かれ少なかれ役に立つだろう。

活用されたし。