前のエントリでは、小説家が業界内に蔓延する「悪魔的な力学」の存在を感じ、出版社を離れることについて触れた。その「悪魔的な力学」の説明はまた後のエントリでしよう。ここでは、僕と言う小説家のデビュー前夜について書きたい。
(このカテゴリは続きもののため、未読の方はぜひ第一回「今、小説家になるために必要なもの(1)」からどうぞ)
小説家くれあきらの場合
ここに一人の作家がいる。名前は、くれあきらとしておこう。年齢は……お年頃、とだけ言っておこう。某企業に勤めている兼業作家だ。作家としてのキャリアは五年と少し。
彼の小説家生活は、ある一本の電話から始まった。
編集者からの一本の電話
――もしもし、わたくし××出版の○○と申します――
金曜の夜十時。会社の送別会から帰ってきたばかりの僕に電話をかけてきた人物は、そう名乗った。
――このお電話は△△新人賞の最終選考に残った方に宛ててかけておりますがおまちがいないでしょうか。そうですか。この度は最終選考まで残り、おめでとうございます。×月○日に結果が発表されますので、電話に出るようにしてください。それからメールアドレスを教えていただけますか……はい、メモしました。後でメールを送っておきます。住所は〇〇県××市△△で間違いないですか?わかりました。では、くれぐれもこの件は発表まではネットやツイッターで公開しないようにお願いします――
電話の主はかいつまんで言うと大体そんな事を言って、通話を終えた。
××出版の○○さん。
新人賞。
最終選考。
送別会ではだいぶ飲んでいたのだけれど、そんな酔いもすっかり覚めた。新人賞に応募したことは確かだ。一生懸命書いたことも、自信作だったことも確かだ。だけど、まさかこんなことになるなんて。
僕はそれほど沢山の小説を読んできた人間でもない。最終選考に残ったそのレーベルの本だってほとんど読んでいない。というかまったく読んでいない。ライトノベルという概念を知ったのもそれほど前のことじゃない。書いた小説だって今回のものが第二作目。
そんな人間のでっち上げた物語が最終選考に残るとは。万が一、最優秀賞でも受賞でもしたら……
「おいおい、どうする?」
これが、その時の正直な感想。何しろ、このくれあきらという人物、バキバキの小説ど素人だったのだから。
くれあきらはなぜ小説を書こうと思ったか
ここで少し、このくれあきらという人物と小説の関わりを見てみよう。彼が小説を書き始めたのは、とある一冊の小説がきっかけだった。201X年、海外への出張の時、飛行機の中での暇つぶしにと空港で買った、約三百ページの文庫だ。
ストーリーは単純。ある才能がある主人公が、ある人物に騙されて辛酸をなめ、自信を喪失しながらも、仲間の協力を得つつ宿敵へのリベンジをその才能を使って果たす、そんな物語だった。骨組みは実にシンプル。
だけどこれがなかなか面白かった。主人公の技術はキレキレだったし、登場人物も魅力的。スリルもあるし、どんでん返しもある。最後は綺麗にハッピーエンド。くれあきらは一発でその著者のファンになった。
帰国後、その著者の本を読み漁った。何冊か読み進めて行くうちに、彼はふとあることに気づいた。
「ひょっとして、この人の小説って、ワンパターンなのでは?」
そう、その著者の小説はどれも一つのパターンを繰り返していたのだ。いわゆるワンパターン。見事なくらいに、一つの型を従順に守っていた。
ズバリ『何らかの能力がある主人公が戦いに負けて自信をなくすが、誰かの力を借りて小さな成功でカンを取り戻す。やがて自分を負かした宿敵に戦いを挑んでリベンジを果たす』。例外もいくらかあるけれど、だいたい毎回これ。完璧にワンパターン。
でも、物語で扱われるテーマや主人公の職業は作品ごとに違うし、主人公の能力の見せ方はそのたびに工夫がこらされていた。ワンパターンなのは大枠の骨組みだけで、それ以外の要素はバリエーション豊富だから、同じ骨格をもっているのにまったく飽きさせない。
ワンパターンでもバリエーション豊かに楽しませることができる、そのメカニズムをかいま見て、少し拍子抜けする思いをした。
そして。
「これなら……僕でも書けるかも」
これで小銭が稼げるなら悪くない。
そんなわけで、くれあきらは小説を書いてみるようになった――
次回、「今、小説家になるために必要なもの(4):編集者は小説に対してどんな指摘をするのか」につづく

ライトノベル作家。
商業作家としての名義は「くれあきら」とは別。今は主にブログで小説にまつわるアレコレを配信中。デビューから商業作家時代の話を「今、小説家になるために必要なもの(1)」に書いてます。