今、小説家になるために必要なもの(11):かつての「IT革命」は誰を殺したのか?

前のエントリでは本が売れない理由について触れた。ここでは、もう少し同じテーマについて深掘りをしてみよう。

(このカテゴリは続きもののため、未読の方はぜひ第一回「今、小説家になるために必要なもの(1)」からどうぞ)

ネットがもたらしたもの

今、人々はコンテンツに対してお金を払わなくなってきている。というか、お金を払わなくても楽しめる、情報を仕入れることができる世の中になってきている。

キミもその利益を享受しているはずだ。

現在、ネットには大量の無料コンテンツが存在している。プロがつくったものもあればアマチュアのつくったものもあるし、合法のものもあれば違法のものもある。ゲームもあればアニメもあるし、小説もあれば漫画もある。動画や音楽だって見切れないほど、聞ききれないほど毎日アップロードされている。

今、あらゆるコンテンツは当たり前のようにタダで手に入るのだ。

ビバ、無料天国。

新兵は戦場に出た瞬間、死ぬ

もちろん、無料の裏には広告があったりプラットフォームからの収入があったりと、お金儲け=マネタイズの仕組みは準備されているわけだけれど、利用者の財布は痛まない。

今までお金を出して得ていたもの(情報、娯楽)を、無料で手にいれることができるようになったなら、それに飛びつく。当然の結果だ。

さらに、今では何かのコンテンツへのアクセスが他のコンテンツへの誘導につながる。つまり、自分の趣味にあったコンテンツが広告として画面に出てくる。

人はそれをクリックして、自分の趣味に合致するそのコンテンツを消費する。結果として、海のものとも山のものともわからないような新人作家の小説には、今まで以上に人が寄り付かなくなる。

才気あふれる新進気鋭の新人作家が死ぬ気で作り上げた物語は、たとえそれがどれほどクオリティの高いものであれ、誰の目にも止まらず、誰にも感動を与えず、まったくと言っていいほど話題にもならず、さほどの経済効果も産まず、人知れず消えて無くなる。

本を読んでる場合じゃない

インターネットの普及により無料コンテンツが広まった。そして、コンテンツは無料だという常識と認識も広まった。

インターネットがもたらしたものは、それだけじゃない。ネットがもたらしたものは、本の代替以上のものであり、無料のコンテンツ以上のものだった。

インターネットの楽しみはコンテンツの受領=ダウンロードではなく、むしろコンテンツの発信、アップロードにこそあると言っていいだろう。

ちょっとしたイラスト、ちょっとしたツイート、ちょっとしたコメント、ちょっとしたブログの記事、ちょっとした小説。

そんな何かをアップロードして高評価を得たことがある人なら、それによって承認欲求が満たされたことだろう。

結局、人は人から認められてなんぼなのだ。

出版業界の売り上げを減らした犯人がいるとしたら

発信することの楽しさを、僕たちは手に入れた。日本中から、あるいは世界中から共感を得ることの気持ち良さを、僕たちは知った。また別に、既存メディアをこき下ろし、disる爽快ささえ、僕たちは手に入れた。

今まで教室の中で、身の回り半径数メートルで行われていた「これいいよね」「あれはダメだろ」が、もう少し外の世界に向けて行われるようになった。より共感を得やすい、感性が似た人たちが、ダイレクトに繋がるようになった。あるいはそれは海外にまで及ぶようになった。

人によってその飛躍は様々だろう。だけど、10年前、20年前の僕たちが属していたコミュニティに比べて距離的に広範なのは確かだ。バラエティに富んでいるかどうかは分からないにしても。

だから、僕たちは自分を受け入れてくれるそのコミュニティに、より多くの時間を使うようになった。有限な人生を、効用の高い場所で過ごしたいと思うのは、ごく自然なことだ。

もし仮に、出版業界の売り上げを減らした犯人がいるとしたら、それは僕たち自身の業(カルマ)に他ならない。

良い悪いじゃない。それはごく自然の流れなのだ。

IT革命が殺したのは

今から15年以上前。

2000年当初、世間では「IT革命」という言葉がもてはやされた。

当時、ITによって世界は変わると言われていた。企業の作業はデジタルによって効率化がなされ、より高度な分析がコンピュータによって可能になり、そうなったら単純作業をしている労働者や事務作業に勤しんでいる人たちは職を失い……そんな世界と、そんなビジョンだ。

しかし、ITをもてはやすのと同じくらいの数の知識人やメディアは「IT革命なんて大したことはない。インターネットに転がっている無料のコンテンツなんて便所の落書きと変わらないじゃないか」と一刀両断していた。

まるでインターネットのすべてを見切ったかのように、「IT革命? グーテンベルクの活版印刷に比べれば、どうってことはない。革命が聞いてあきれる」と、冷笑を向けていた。かつて、そんな時代があったのだ。

その一方で、ウェブに可能性を感じた人々は、その魅力にかけて留学をしたり、会社を興したり、Webの中で活動を始めたりした。

それから15年以上たった今、かつてメディアの代表選手であったテレビも出版も絶望的な状況に立たされている。新聞でさえ、その情報の鮮度はネットのスピードに遠く及ばない。

以前の勢いと権威は失われ、一般ユーザ、一般消費者からのコメントやツイートが、一つの番組や企業を動かす世の中になっている。

メディアがネットから情報を漁るのが当たり前になっている。

いちユーザのamazonでの★が、その作品の売り上げを左右する世の中になっている。

IT革命は、文字通り革命だった。

第一次、第二次産業革命と引けをとらないくらいに見事なパラダイムシフトをもたらした、明確な革命だった。

マスメディアという名の王を殺す革命だったのだ。

2000年のあの頃、IT革命と騒いでいたメディア関係者は、ギロチンの上に乗っているのが自分の首だと、誰が思っただろう?

そして今、出版社は

こうした世の中の動きがあるにもかかわらず、出版社は相変わらず旧来の方法(デビュー→売れない→打ち切り→魔改造→売れない→打ち切り→魔改造)を繰り返し、相変わらず一発逆転を狙おうとしている。

これは、売り上げが下がっているにもかかわらず出版点数が増えていることからも見て取れる。要するに、撃ち弾を増やしてヒットする確率をあげようとしているというわけだ。

どうせ売れないなら電子書籍だけにしぼって本を安くしてしまうとか、(やっている場所はあるけれど)編集やパッケージングに特化するなど別のビジネスモデルを考えるとか、そういう施策をする必要があるのだけれど、大企業ゆえに対応が遅れている。

出版に携わるのは出版社だけじゃない。出版取次や書店、印刷所なども関係してくるので、それら利害関係者とのバランスを取らないといけない。これらが一層対応を遅らせる原因になっているだろう。

この出版業界の売り上げ低迷と、組織的こう着状態はしばらく続く。

作り手が小説市場に寄り付かない

小説市場が魅力的ではないということは、もうみんなわかっている。各出版社が開催している小説新人賞の応募が減ってきていることからも、出版社の小説が見放されていることは一目瞭然だろう。

人々は小説を買わない。必然的に、作り手も減っていき、市場に寄り付かなくなっていく。

ただし、その一方で売れている小説もある。

今、このご時世で売れている小説というのは一体どのようなものなのか。そして、なぜ売れているのか。それを見ていこう。

次回、「今、小説家になるために必要なもの(12):売れている本はなぜ売れている?」につづく