昨今の小説や映画では、必ずと言っていいほどエピローグが存在する。
なぜ小説家、物語作家はエピローグを用意するのか。それについてみていきたい。
目次
エピローグを用意する理由
小説家はなぜエピローグを用意するのか。理由はこんなところだ。
- 主人公たちの変化を示すため
- クライマックスの後の野暮な描写を省略するため
- 続編の存在をちらつかせるため
以下、説明していこう。
主人公たちの変化を示すため
エピローグを書く一番の理由は、登場人物たちの成長をそこで書くためだ。
物語の中で起きる事件を通じて、主人公たちは成長をする。その成長が、事件後の日常の生活の中で、どのように生かされているのか。それを示すためにエピローグが用意される。
ただし、である。
クライマックス後の成長を示すだけなら、必ずしもエピローグとして独立させる必要はない。クライマックスからそのまま地続きで成長を描いてもいい。
にも関わらず、小説家はその成長ぶりをエピローグとして独立させて書く。その理由は、次の「クライマックスの後の野暮な描写を省略するため」にある通りだ。
クライマックスの後の野暮な描写を省略するため
現実の世界であれば、クライマックスに採用されるような事件(例えば暴走列車を止める、とか)が片付いたとしたら、関係者は「やれやれ事件が片付いた。みなさんお疲れさまでした。では家に帰りますか」となる。
あるいは「お疲れのところ申し訳ありませんが、ちょっと署までご同行願えますでしょうか」となる。
だが、小説でそんなところを記載する必要はない。そんな野暮ったい描写は不要だ。さっさと日常に戻り、そして事件後の成長した姿を読者に披露する必要があるだろう。
そんな野暮な描写を省くため、事件が終わった瞬間にバッサリと幕を一度引く。続く最終章は、必然的にエピローグになる、というわけだ。
続編の存在をちらつかせるため
エピローグを書く最後の理由として、続編の存在をちらつかせるため、というものがある。しかし、これはエピローグを書く理由というよりも、そういう使い方もできる、という話。
続編を書くことが決まっていたとしても、別に続編の存在をちらつかせなくても良い。
ただ、小説を売る、ということを考えると、一つのテクニックとして、これからさらに面白くなる予感を与えるエピローグを準備することができるのであれば、その方が良いだろう。
エピローグがなくても成立するのは
エピローグを書く理由をいくつか述べてみた。
結局のところ、エピローグを書いた方が、小説として収まりが良い。だから小説家は無意識のうちにエピローグを書いている、というのが実際のところだろう。少なくとも僕はそうだった。
逆に、エピローグを用意せずして物語を書くとなると、なかなか難しくなる。
例えば、暴走した列車を止める、という話があったとして、実際に暴走列車が止まったとしたら、止まった瞬間から最後の行まで場面転換も時間経過もなしにそれっぽく書き切るのは至難の技だろう。
エピローグがなくても成立するのは、一般的に、派手なクライマックスがない物語だ。
おわりに
エピローグを書いて文句を言われることはない。
反対に、エピローグを書かずに物語を終わらせることで評価があがることもない。
だから、小説初級者〜中級者は、効果的なエピローグで物語に余韻を与えるというセオリーの手法を、まずは学習してみると良いだろう。
活用されたし。
ライトノベル作家。
商業作家としての名義は「くれあきら」とは別。今は主にブログで小説にまつわるアレコレを配信中。デビューから商業作家時代の話を「今、小説家になるために必要なもの(1)」に書いてます。