主人公が「究極の二者択一の選択」に直面した時、小説家は主人公をどのように動かすか

今回のエントリでは、小説の主人公が究極の二者択一の選択を求められている時、小説家はその主人公にどのようなアクションを取らせるべきか、それについて語ろうと思う。

では、行ってみよう。

究極の二者択一

小説の主人公は、時としてどちらも切り捨てられないような究極の選択を強いられることがある。

「世界」か「彼女」か。

「自分の命」か「仲間の命」か。

彼女を助けようとすれば、世界が大きく破壊されてしまう。

しかし、世界を救うためには、彼女を諦めなければいけない。

自分が助かろうと思えば、仲間が絶命してしまう。

しかし、仲間を助けようとしたら、自分の命は諦めないといけない。

どちらか一方しか選択することはできない。絶対に片方しか選択できない。

さて。この時、主人公は何を考え、どう動くのだろうか。

小説家はこの時、主人公に何を考えさせ、どうアクションを取らせるのだろうか。

このパターンにおける定石はあるのだろうか。

より多くの人が助かる選択肢を選ぶ?

自己犠牲の色が強い選択肢を選ぶ?

いや、違う。

答えは簡単だ。

どちらも選択しない、である。

とは言っても、どちらも諦めるのではない。むしろ逆だ。

どちらも切り捨てられないなら、どちらも切り捨てない。

彼女も世界も救う。

自分の命も仲間の命も救う。

つまり、絶対にどちらか一方しか選択できない状況だとしても、それでもなお、両方とも手に入れることを選択する。

これが定石だ。

究極の選択のための下準備

当然、究極の選択というくらいなので、どちらか一方しか選択することはできない状況にしておく必要がある。そのようにお膳立てをし、読者にも「確かにどちらかしか選べないな、これは」と思わせるだけの下準備をしておかなければいけない。

そうでないと、「そんなの、両方とも選べば良いじゃないか。この主人公は頭が悪いのだろうか」となってしまう。

だから、絶対に片方しか選べない、と読者に納得させるだけの材料は必要不可欠となる。

それにより「さて主人公はこのシビアな状況でどのような選択をするのだろう!」という謎を読者に感じさせたうえで、「片方しか選べない、という状況においても、両方とも選択する」という回答を提示する。それも、「なるほど、その手があったか!」と思わせながら。

どうやって読者を納得させるか

さて、どちらか片方しか選べないという状況であることを散々語ったうえで、それでも両方を選んでうまくいくとなると、それが成立するような納得感のある理屈が必要不可欠になる。

「その手があったか!」と読者に思わせるだけのスマートな理屈が必要になる。

その理屈は、「小説の主人公はどのようにして事件解決の手がかりをつかむか」の「事件解決の手がかりをつかむ時のセオリー」にて記した二つ(一般常識or伏線)のうちのいずれか、もしくは両方から成り立っている必要がある。

具体的な使用例

ハリーポッターシリーズを例に具体的な話をしてみよう。ネタバレもあるので、ここから先を読み進めるなら、そのおつもりで。

ハリーポッターシリーズにおけるラスボス、ヴォルデモート。

彼を倒すには、世に7つ存在する分霊箱(ヴォルデモートの魂のバックアップみたいなもの)をすべて破壊する必要があった。

だが、その最後の一つがハリーポッター自身であることが、劇中で明らかになる。つまりそれは、ラスボス討伐のため、ハリーポッターは自らの命を捧げる必要があるということを意味していた。

では、ハリーポッターは自分の命を犠牲にして敵を倒したか?

否。ハリーポッターはヴォルデモートの攻撃を受けて一度は生死の境目をさまようが、ある理由から死なずに蘇り、敵ヴォルデモートを倒したのだった。

どうしてハリーポッターは敵の攻撃を受けつつも死ななかったのか。その理由について、映画の中で明確には記されていない。

しかし、伏線の視点から考えると、ヴォルデモートがハリーポッターを倒す時に使っていた魔法の杖(ニワトコの杖)のおかげだった、と言えるだろう。

このニワトコの杖が、持ち主に忠誠を誓うという性質を持っていること、そしてこの杖のその時の持ち主は、他ならぬハリーポッターだったことが、戦いの前後で語られている。

だから、ニワトコの杖は、主人であるハリーポッターの中にある分霊箱の部分(=ヴォルデモートの魂のバックアップの一部)だけを殺し、ハリーポッター自体は傷つけずにいた、というわけだ。

ニワトコの杖の特性(主人に忠誠を誓うとか、その杖の主人になる方法とか)を劇中の会話で聞いていた視聴者は、最後の戦いが終わった後の解説(この杖の所有者は、実はこういう経緯から、今はハリーポッターなのだ、という話)を聞いて、「なるほど、だからハリーポッターはあの攻撃を受けた後でも死ななかったのね!」と理解する。

こうして、ハリーポッターは、両方(自分の命と、敵の討伐)を手に入れることを果たし、そしてそれがなぜ可能だったのか(なぜ死を免れたのか)を、伏線(敵の手にしていた杖が自分に忠誠を誓っていた)により、視聴者に納得させている。

例外について

ちなみに、「両方とも選ぶ」という定石には、例外もある。というか、実を言えばこの定石には例外が多い。代表的なものは以下だ。

  • 両方を選ぶことを読者が納得しないような選択肢の場合
  • どちらを選択すべきか悩むこと自体ナンセンスな選択肢の場合
  • 究極の選択で片方を選ぶことが物語の主軸である場合

それぞれ少しみてみよう。

両方を選ぶことを読者が納得しないような選択肢の場合

社会通念的、あるいは社会制度的に、「それは両方選んではダメだろう」という場合には、片方をチョイスする必要が基本的にはある。例えば、恋人や結婚相手を選ぶ時などがそれだ。

主人公を笑えるほどの畜生として設定し、そのナンパ者の手練手管を面白おかしく組み立てていくような話ならいざ知らず、まっとうで誠実な主人公が「どちらか一方なんて選べるわけない」と二股をかけて、ラストまで駆け抜けた挙げ句の果てにハッピーエンドの顔をして終わるようなストーリー展開は、ちょっとまともな物語として成立させることが難しいだろう。

どちらを選択すべきか悩むこと自体ナンセンスな選択肢の場合

「仲間の命」と「自分の全財産」のように、現実世界ではどちらも超重要なものだとしても、こと物語の上では、片方を選んだ瞬間にその選択が利己的に見えてしまうような場合には、ためらいもなく利他的なもの(ここでは「仲間の命」)を選ぶ必要がある。

この場合、今まで「自分の財産」のために人さえ殺すようながめつい人間が、物語の中で展開される成長のおかげで、「仲間の命」を選択する、みたいなストーリー展開ならいざ知らず、最後の最後で出てきたラストバトルで、善良で正義感のある勇者が「仲間の命」と「自分の所有する高価な宝石」の二択に本気で悩まれても、ギャグにしかならない。コメディならいいが、シリアスな物語だと呆れて言葉さえ失う。

究極の選択で片方を選ぶことが物語の主軸である場合

例外はまだある。その選択自体が物語の主軸になるようなものがそれだ。具体的な作品をあげよう。

2019年7月19日に公開された新海誠監督の作品「天気の子」だ。


これは「好きな子」と「世界」の二者択一で、「両方とも選ぶ」を放棄している。

見事なまでに、気持ち良いくらいに、それとわかった上で、放棄している。ぶっちぎりで、片方を選択しているのだ。あまりにも、どうしようもないほど、まっすぐに。

詳しい話はエントリ「あの作品で使われている物語技法(映画「天気の子」)」にて記してある。興味があればぜひ読んでもらいたい。

簡単に言うと、「その究極の選択に、自分はこちらを選んだ、それが何よりも大切だから」ということが物語の主軸にあるものは、究極の選択に直面しても両方を選ばない。

終わりに

というわけで、究極の二択について語ってみた。

前から書こうと思っていたエントリだったが、ちょうど「天気の子」でまさかの例外、イレギュラーパターンが登場したので、これ幸いと、したためた次第である。

今回の手法は、大げさな究極の二者択一的状況でなくとも使える。ちょっとした日常系物語で、二人のいざこざを第三者が解決する、みたいな状況にも利用可能だ。応用が効くテクニック・定石なので、是非とも頭の片隅に置いておいてもらいたい。

そして、究極の二者択一にせよ、日常の二者択一にせよ、ひねり出した回答については、よりスタイリッシュで納得感溢れる回答はないか、よりユニークで外連味溢れる回答はないか、何度も何度も考え直し、模索をしてもらいたいと思う。それが作品の質を格段にあげるからだ。

活用されたし。