なぜ物語はパターン化され、分類されるのか

この世に存在するあらゆる物語は、いくつかの型に分類される。そんな話を聞いたことがあるだろうか。

分類の方法や切り口、そしてその数については様々。しかし、すべての物語はいくつかの型に分類、整理される――つまり、物語は似通う、という話だ。

このエントリでは、なぜ物語は類型に分類されうるのか、なぜ物語は似通うのかについてみていきたいと思う。

では、いってみよう。

物語の分類

物語を分類する方法、アプローチはいくつかある。軽く紹介してみよう。

  • ストーリーによる分類
  • 感情の波形による分類
  • モチーフによる分類
  • その他

ストーリーによる分類

「ストーリーによる分類」としては、例えばブレイク・スナイダーの10分類がその代表的なものだろう。

例えば、「金の羊毛型」は主人公が何かを求めて旅立ち、色々あって結果として他の何かを見つける、みたいな型だ。青い鳥やディズニーのヘラクレスなんかをイメージするとわかりやすいだろう。

感情の波形による分類

「感情の波形による分類」とは、「ポジティブな感情(幸福)」と「ネガティブな感情(不幸)」が物語の中でどのように遷移しているかという観点から、物語を6つのパターンに分類したというものだ。

例えば、「シンデレラ型」は幸福になったかと思えば途中不幸になり、最後にまた幸福になる、なんて具合である。

モチーフによる分類

「モチーフによる分類」は、変身譚、異類婚姻譚、勧善懲悪といった、昔話に用いられる物語のモチーフにどのようなものがあるかから分類を行うタイプのものである。代表的なものとしては アールネ・トンプソンのタイプ・インデックス(AT分類)などがあるだろう。

その他

その他、ジャンル(恋愛、ハードボイルド、ミステリ、SFなど)による分類とか、人称(一人称、三人称)による分類とか、主人公の数(単一主人公、二人主人公、群像劇)による分類とか、切り口は山ほどあるけれど、とにかくすべての物語はこうした切り口によっていずれかのカテゴリに収まる。

こうした分類の詳細説明については別のエントリに譲るとしよう。

このエントリでは、ストーリーによる分類というものが、なぜなされるのか、なぜ物語は分類可能なほどに似通うのか。それについて取り扱いたい。

なぜ物語は似通うのか

物語は似通う。どうしてだろうか。

当然、最初から「原型アーキタイプ」と呼ばれるような物語があったわけではない。「原型アーキタイプ」の物語が各地域の物語作者に配られて、その型に合わせて物語作者たちが具体的なストーリーを組み立てていったというわけでもない。

では、どうして物語は似通うのか。

それは、生物の進化に照らし合わせて考えると、わかりやすい。

例えば、たいていの魚類は、泳ぐためのヒレを持っている。

例えば、たいていの鳥類は、羽が生えていて空を飛ぶ。

例えば、たいていの哺乳類は四肢を持っていて、それで移動する。

どうしてそうなっているのか。それは、その種族が置かれた環境において、その特性(ヒレを持っている、羽で空を飛べる、四肢を持っている)が子孫を残すことに有利に働いたからだ。つまり、その特性を持っている遺伝子の方が、よりモテたからだ。

人間を含めたすべての生物がいまその姿で存在しているのは、その姿を形作る遺伝子が廃れずに残っているからだ。その遺伝子を持つ個体が異性との交配をより多く行い、より多くの子孫を残しているからだ。

そして、その環境下において効率的に生存し、繁殖するための形状や仕組みがあるなら、それが種をまたいで利用される。

なので、結果として生物の持つ特性は、パターン化される。

もちろん、突然変異で四肢が八つの哺乳類が生まれることもあるだろう。しかし、その遺伝子は、四肢が四つの時に比べて優位性がなければ、その遺伝子が後世に引き継がれない。羽がない鳥類がよほどその環境下においてモテなければ、その羽なしの遺伝子は後世に届けられることなく、一代限りで終わる。つまり、パターン化されない。

これと同じく、物語が今あるいくつかのパターンに収まっているのは、それらの物語パターンがモテたから=色々な人に読まれ、真似をされたからだ。

そのパターンの物語の遺伝子が、色々な人たちに伝播し、受精し、子孫を残したからだ――作品という名の子孫を。

物語の進化論

太古の昔。物語は、世界の成り立ちを語るために生まれた。

太陽はどうして毎日昇り、沈むのか。

空はなぜ青いのか。

山はなぜ高くそびえるのか。

海の向こうに何があるのか。

自分たちはなぜ、生まれたのか。

そうした世界を取り巻く分からないあれこれを説明するために、物語が生まれた。分からないという「不快、不安」の状態を、分かるという「快」の状態に持っていくために、物語が使われた。

やがて、物語は、「分かる」という快楽以外の感情を提供することができることに、人々は気付いていった。「驚き」を与えることも「笑い」を与えることも「喜び」を与えることも「悲しみ」を与えることもできることに、気付いていった。

そうした感情を提供するための仕組みとして、その感情の変化を読み手により効率よく感じさせるための仕組みとして、さまざまな手法が生まれた。

ハッピーエンドをより効果的に演出するため、一度どん底に落としたりする感情の波形が生まれ、活用され、広まっていった。

時代や環境の変化により、様々なジャンルが生まれ、様々なテーマが生まれ、物語の幅が広がっていった。

最初は生物でさえないような有機体だったひとかけらの何かが、何十億年もの後、今の地球に存在する数多の生物へと進化発展を遂げたのと同じように、物語もあらゆる方向へと広がり、進化をしていったのだ。

終わりに

このエントリで述べた通り、物語は遺伝子のようなものである。

今、僕たちの遺伝子に搭載されている特性のほとんどは、何億年もの生物の中で、僕たちの祖先が選択した、後世に残すべき特性である。同時に、その環境下においてモテやすく、子孫を残しやすい特性なのだ。

それと同じく、今世にある物語のパターンは、物語を作ることを覚えた人類が何千年もかけて磨き上げ、時の洗練を受けた、後世に伝えるべきものである。同時に、人に受け、後世に語り継がれるものなのだ。

この先人の大いなる知恵、あるいは全人類の共有財産、使わない手はないだろう。

いや、ズバリ言えば、使わずしてまともな物語は作れない。それは物語の淘汰の歴史を見れば明らかだ。

物語のパターンに意識的になるべし。さすればキミの綴る物語は人の心を動かし、多くの人に受け入れられるようにならん。

活用されたし。