小説なんて、書きたい人が書きたいように書けば良いのだけれど、それでも上手く書きたいと思うのが心情だろう。上手く書いて、人を楽しませて、あわよくばお金を稼いだりしたい、なんて具合に。
このエントリでは、そんな「上手い小説を書きたい」と思っている初心者たちに向けて、小説を上手く見せるためのコツを、「人称」という切り口から語りたいと思う。
大抵の初心者は、○人称で書いた方が上手くいく、という話だ。
果たして、この○に入るのはなんだろうか。
人称について
まず、小説の人称には、大きく以下がある。
- 一人称:主語が「僕は」「わたしは」の物語。主人公=僕が物語を語る。
- 三人称:主語が「彼は」「彼女は」の物語。登場人物以外の(神的な)誰かが物語を語る。
世の中には二人称(主語が「キミは」)というものも存在するが、小説における二人称は扱いが相当難しいので対象外とする。
というのも、小説における「人称」が「物語を語る主体が誰なのか」を示すものだとすると、「二人称の小説は「キミ=読者」が物語を語る小説」ということになってしまう。
つまり、単純に「主語が「キミ」なら二人称の小説」とは問屋がおろさないのだ。
ちなみに、三人称については色々と分類できるだろう。登場人物の心理描写を一切行わない、完全に空の上でカメラが回っているような状態の三人称もあれば、もう少し登場人物に寄り添って、時には心の中に入り込んでみるような三人称もある。
このあたりの分類はまた別の機会でやるとして、話を本題に戻そう。
さて、本題。
冒頭に挙げた「大抵の初心者は、○人称で書いた方が上手くいく」の「○」に入るのは、「一」、「三」のどちらだろう。
答えは「三」だ。
初心者は「三人称」で書いた方が大抵上手くいく。それも格段に。
なぜ三人称の方が上手くいくのか。それについては、それぞれの人称の特徴を見ながら話をしたいと思う。
一人称の特徴
一人称の物語では、主人公が物語の全てを語る。主人公の見たもの、聞いたもの、感じたもの、思ったもの、それらを表現する。
主人公の心の中に入ることができるため、その時に感じた心境を描写する際、三人称に比べてストレートかつスマートに表現し、読者に伝えることができる。
逆に、主人公の視点から逸脱することができないため、主人公が語りうるもの、語りうるうこと以外は描くことができない。
つまり、主人公の視点から外れたものを、読者に伝えることができない。
例え話をしよう。
主人公が家に帰る際、家に泥棒がいるとしたら、その泥棒の存在を主人公が知るのは、主人公が鍵を開けて部屋の中にその泥棒がいることを目の当たりにした時、ということになる。
この泥棒が、帰ってくる主人公とはちあわせにならず、何も盗まず証拠も残さず部屋を出たとしたら、一人称の世界では、この泥棒は存在していなかったと同じことになる。
もし三人称で主人公と泥棒のそれぞれの行動を書いていたら、仮に何も盗まずとも、証拠も残さずとも、主人公と泥棒がはちあわせになるかもしれないスリルを読者に伝えることができたのだ。
また、推理小説などで特に顕著になりがちなのだが、小説家は読者に「謎解き」のためのヒントをすべて提示しようとする(そうしないとフェアではないと考えるからだ)。
その情報提示にあたり、主人公に色々な場所に行かせたり、主人公に色々な情報を寄ってたかって吹き込んだりする状況を、小説家は作りがちになる。
結果、物語がまどろっこしく、いびつになったりする可能性があるーーもちろん、うまくやらなければ、の話。
他に、「一人称では主人公の感情を描写しやすい」と言ったが、これもうまくやらないと日記のようになってしまい、どうにもこうにも素人っぽさが爆発する。そして、初心者の書く一人称視点の小説は、主人公の心ばかりに注目してしまい、周りの描写がおろそかになる傾向も出てくる。
だから、一人称には十分注意をした方が良いだろう。
そう。一人称は比較的玄人向けなのだ。たぶん、キミが思うより、ずっと。
三人称の特徴
三人称の物語は、神の視点の物語だ。小説家は、登場人物たちの見たもの、聞いたもの、やったことを、登場人物以外の第三者的な視点(神的な存在の視点)で記述し、物語に仕立て上げる。
外から世界を描写するので、主観的な感情よりも、見えている風景などの客観的描写が増える。それにより「より人に理解させる」ことにフォーカスを当てた文章になる傾向がある、というのが、三人称で書く利点と言えるだろう。
要するに、三人称で小説を書くというのは、描写の矯正ギプスをつけているようなものなのだ。
また、複数の場面を複数の視点で書くことができるので、三人称で書く小説には、ドラマを演出しやすいという強いメリットがある。明らかに、一人称でドラマを作るよりも簡単で、かつ自然なのだ。
どういうことか。
要するにこういうことだ。
- 神の視点で書かれた小説を読んでいる読者は、神と同じだけの情報量を持ち合わせることになる。
- 小説家は、登場人物が知らない情報を読者にのみ先に与えることで、「ああっ、今そっち(自宅)に行くと危険なのに!」「そんな嘘をついて、バレたらどうするんだ!」といった状況を作り出す。
- これにより、小説家は読者の心を揺さぶり、続きが気になるように仕向ける。
このあたりのドラマの作り方については、「群像劇の書き方」、「小説家はいかにして読者をハラハラさせるか」、「小説家が駆使する「四種の嘘」とは?」あたりも合わせて参照してもらうとより理解してもらえるうだろう。ぜひ参照してもらいたい。
三人称のマイナス面をあげるとすれば、登場人物たちの心の中に、頻繁に入り込むことが難しい(節度を守って心の中に入り込む必要がある)、というところだろう。
三人称において、登場人物が何を考えているのか、何を思っているのかを神の視点で語ることについては、賛否両論があるかもしれないが、僕くれあきら個人としては、何も問題ないと思う。
けれど、やはり三人称はある程度ドライに中立の立場で淡々と物語を記述するようにした方が良いと考えている。その方が自然だし、三人称でキャラクターの心中がつらつらと書かれていると「素人っぽさが滲み出しているな」と、どうしても感じてしまうからだ。
おわりに
小説を書きたいという初心者は、まずは三人称の形式を採用することにより、外の世界の描写の増加と登場人物の心理描写(というか心の声の吐露)の削減をしていくのが良いだろう。
そして次に、視点の切り替えを利用することで、無駄で不自然な主人公の移動などを減らしつつ、先に述べたような「三人称が持つドラマの作りやすさ」を使ってドキドキとハラハラを演出できたら、キミの小説はきっと今よりプロっぽい仕上がりになる。
活用されたし。
ライトノベル作家。
商業作家としての名義は「くれあきら」とは別。今は主にブログで小説にまつわるアレコレを配信中。デビューから商業作家時代の話を「今、小説家になるために必要なもの(1)」に書いてます。