天才を描く三つの方法

キミの小説に天才のキャラクターは出てくるだろうか。

出てくる?

なら、是非ともこれを読んでもらいたい。

出てこない?

なら、いずれ天才キャラを出すかもしれないその日のために、これを読んでもらいたい。

そもそも小説なんて書いてない?

なら、読者の立場で、これを読んでもらいたい。

このエントリでは、小説家が天才を描く時、どんなことを考えているのか、どんなことに注意をしているのか、それについて語ろう。

そして、天才の描き方についても記そう。

天才キャラを出すときの注意点

実際のところ、僕はプロの小説家として天才を描いたことは一度もない。どこか未熟で、いびつで、不完全な連中ばかりを描いていた。

だから、天才を描くことになるプレッシャーを、リアルに感じる機会は無かった。

天才を描くとしたら、当然のごとく悩んだだろう。

なぜなら、天才を書くことにはある種の危険を伴うからだ。馬の骨みたいなキャラクターを天才として登場させてしまえば、作者である自分の凡才さが露呈してしまう。

なので、もし仮に、そのキャラクターが天才である必要がないのであれば、天才として描かない、という手もある。下手に天才として書けば、どこが天才なのだ、となってしまうのだから。

本当にそのキャラは天才の仮面をつけて登場しないといけないのか、と一度自分に問いかけても良いだろう。書けないものは書かない、それも立派な戦術だ。

しかし、物語の都合上、どうしても天才に登場してもらわないといけない、そんな事態に見舞われることもあるかもしれない。

あるいは、天才を主人公にした物語を書きたい衝動が、ある日突然襲ってくるかもしれない。

その時は、悩んで書けば良い。人生において天才のことを考える機会なんて、そうそうないはずだ。

天才を書く3つの方法

では、どうやって天才を書けば良いのだろう。

天才とは、人と比べて「何か」が飛び抜けて優れている人を指す。その「何か」が何なのかはさておき、「どの方向に優れているのか」で、天才の描き方がタイプ分けされる。

どんなタイプか。大きくは次の三つのタイプだ。

  1. 横(時間)軸特化型:森博嗣的方法
  2. 縦(量)軸特化型:西尾維新的方法
  3. 高さ(次元)軸特化型:村上春樹的方法

天才を描くためには、これら「横」、「縦」、「高さ」の三つのうちのどれかを尖らせ、エッジを効かせる必要がある。

とは言っても、この分類は、僕くれあきらが勝手に決めたものだから、何を言っているのかさっぱり分からないはずだ。

というわけで、一つずつ説明していこう。

その1:縦(時間)軸特化型:森博嗣的方法

これは森博嗣のデビュー作「すべてがFになる」で使われていた天才の描き方に代表されるもので、一番シンプルで簡単な描き方だ。

若干10歳でハーバードを首席で卒業。

12歳で新理論を確立。

15歳で教鞭を取る。

今、最もノーベル物理学賞に近い人物。

……といった具合に、グラフの横軸(時間軸)を縮め、いかに早くそこに到達したのか、いかに早熟であるのかを示し、その彼(彼女)の天才性を示すというものだ。

この手法は素人にも手が出しやすい反面、読者に対してインパクトを与えるのが難しい。読者がそのキャラクターに対して、本気で天才性を感じることはない。そんな手法だ。単品で使うよりも他の手法と絡めて使うのが良いだろう。

その2:横(量)軸特化型:西尾維新的方法

これは西尾維新がデビュー作の「クビキリサイクル」で利用していた手法だ。

簡単に言えば、あるキャラクターの知識量が豊富であることを示した上で、その豊富な知識を活用してそのキャラクターに問題を解決させる。解決の時、鮮やかな手さばきを描写することで天才性を示す。

「美味しんぼ」の山岡士郎もこのタイプと言えるだろう。料理を見たり箸でつまんだりしただけで良し悪しを判断し、その理由を豊富な知識を用いて論理的に説明する。

作者自身にある程度のバックグラウンドや調査が必要だが、これも比較的手が出しやすく、その上効果も期待できる。

その3:高さ(次元)軸特化型:村上春樹的方法

これは、村上春樹が「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で見せた手法だ。

村上春樹はこの作品で、「動物の骨の音を聞くことで、その動物の過去を探る」という奇怪な学問を作り出し、その学問を作り出した本当の天才学者を登場させ、天才的な思考を作品中で描き切った。

実際にその学者が天才かはともかく、読者に「このキャラクターは天才だ」と心底思わせる登場人物を描き切った、というべきだろう。

当然、これは非常に難易度が高い。何しろ、天才をまるまる一人でっち上げる必要があるのだから。ハードルは高いけれど、作品に面白さと刺激と豊かさを与えてくれる。

おわりに

ところで、音楽や絵画、スポーツといった分野での天才についてはどうなのだろうか。

学問の世界では偏差値や知能指数といったある程度定量的なものが物差しとして存在するけれど、アートの世界ではそういった物差しがなかなか使いづらい。これについては別の機会に語ろう。

(「天才を描く三つの方法(芸術編)」にて記載)

ともあれ。天才を小説の中で描く時、ここに書いてあることを参考にしてもらえると嬉しい。

活用されたし。