小説家はいかにして読者をハラハラさせるか

今回のエントリでは、小説家が読者をハラハラさせる、その手のうちについて語ろうと思う。

ハラハラを演出する方法はいくつかあるだろうけれど、ここではとりわけ、「嘘」を使ったハラハラに焦点を当てたい。今回の記事を読む前に、「小説家が駆使する「四種の嘘」とは?」を読むことをお勧めする。

準備はいいだろうか。

ではいってみよう。

いかにしてハラハラが生まれるか

小説家は嘘をつく。それについては「小説家が駆使する「四種の嘘」とは?」で触れた通りだ。

そして、小説家が駆使する四種の嘘のうちの一つに、「登場人物をだます&読者をだまさない:ジレンマ」というものがあることを、その中で触れたかと思う。

これはなんだろうか。

小説の中のある登場人物が別の登場人物に嘘をついたり隠し事をしたりしていて、そしてその有様を読者が盗み見ている、という構図だ。

いうなれば、登場人物と読者の情報量にギャップがあり、登場人物よりも読者側に多くの情報がある、という構図である。

この構図が、ある種のハラハラを生み出す。

伝えたいが伝えられないジレンマ

分かりやすい例がある。ヒッチコックの映画だ。

この映画界の巨匠が作り出すスリルとサスペンスのいくつかは、「不気味な道を恐る恐る進む人物の後ろを、凶器を持った殺人者がゆっくりと追う」といった構図を使う。

これを見た視聴者は、「ああっ! 後ろに殺人者がいる!」と、その危機的状況にハラハラを覚える。

これは、視聴者と登場人物の持っている情報のギャップにより引き起こされるハラハラだ。視聴者は、スクリーン上の登場人物に危険が迫っていることを知っている。

しかし、登場人物はその危険を知らず、進んでしまう。

このままいけば危ないことは確実。だけど、画面の向こうの登場人物にそれを伝えることなどできない。

伝えたい。でも伝えられない。そのジレンマが、ソワソワとした座りの悪いハラハラ感を生み出す。

ホラー以外にもスリルはある

この手法が使えるのはホラーに限った話ではない。ディズニー映画「アラジン」を見てみよう。

「アラジン」では、盗賊アラジンが、たまたま市場で助けたジャスミン姫に恋心を抱くが、かたや盗賊かたや王族、身分が違いすぎることに悩む。

しかし、魔法のランプの精ジーニーの力で王子に化けたアラジンは、アリ王子と名乗り魔法のじゅうたんでジャスミンを城から外の世界に連れ出す。

ロマンチックな夜間飛行の末、ジャスミンはアリ王子が前に市場で出会ったアラジンであることに気づき、「どうして王子様なのに、この前は市場なんてうろついていたの?」と聞く。

そこでアラジンはジャスミンに真実を伝えられず、嘘をつく。「たまに自由を味わいたくて、薄汚い格好をして市場をうろつくんだ」とかなんとか。

アラジンが盗賊で、王子はかりそめ姿であることを知っている視聴者は、アラジンがジャスミンについた嘘に対し、ソワソワとしたものを感じる。

そして思う。「そんな嘘をついてしまったら、引っ込みがつかなくなるぞ」と。

同時に、ジャスミンに対して真実を明らかにしたいけれど、それができないジレンマを我が身のことのように視聴者は感じるのだ。

ちなみに、この一連の流れは、ディズニー映画の中で最もロマンチックで、最もテクニックに満ちていて、最も神がかったシーンだと僕は思っている。

何人ものクリエイター、アーティストの才能が何層にも重なり凝縮された、奇跡のシーンだ。一度見ることをお勧めする。

おわりに

そんなわけで、今回は嘘がハラハラを生み出すその仕組みと構造を見た。

小説の中の登場人物以上の情報を読者に与えることで、読者にソワソワとハラハラを与えることができる。

そして、この情報量のギャップは、ソワソワやハラハラといったジレンマ以外にも、別の感情を引き起こすためにも使うことができる。

例えばニヤニヤだ。登場人物が知っているよりも多くの情報を読者に与えることで、思わずニヤニヤしてしまうような状況を作ることができる。

その他にも、例えば切なさを演出することもできる。それについては別のエントリで語るとしよう。

とりあえず、ここではある登場人物にとって都合の悪いことやまずいことを、その登場人物には伝えない(けれど読者には伝える)ことにより、スリリングな状況(「あとで彼/彼女がそれを知ったらどうなることやら!」な状況)を作り出し、読者にそわそわを与えるテクニックを覚えてもらえればと思う。

活用されたし。