あの作品で使われている物語技法(映画「シュガーラッシュ」)

さて、今回取り扱うのは2012年に公開されたディズニーアニメ「シュガーラッシュ」だ。

あの作品で使われている物語技法(映画「シュガーラッシュ・オンライン」)」で触れたのだけれど、このシリーズ一作目である「シュガーラッシュ」は、ディズニーアニメの中でも有数の良作だ。

どんな物語技法が使われているだろうか。では行ってみよう。

あらすじ

まずは「シュガーラッシュ」のあらすじを示してみよう。

ネタバレがあるので、この先を読むなら映画を見てからにした方が良い。

簡単に言うと、アーケードゲーム「フィックス・イット・フェリックス」の悪役キャラクター、ラルフが、ヒーローになりたいと躍起になる中、レースゲーム「シュガーラッシュ」のキャラの少女ヴァネロペに出会い、反発しながらもお互いの目的を果たすために協力しあって、最後は捨て身でヴァネロペを助け、彼女専用のヒーローになる、という話だ。

詳細について記してみよう。少し長いが、こんな感じだ。

舞台はある町のゲームセンター。ゲーム「フィックス・イット・フェリックス」のラルフは、悪役としてマンションを壊す毎日を過ごしていた。

しかし、ゲームの主人公フェリックスが魔法のハンマーでマンションを直し、メダルをもらうのを見るたびに思うのだった。自分もヒーローになれたら、と。

ゲーム30周年の記念日、マンションで開かれたパーティーに呼ばれなかったラルフは、会場に乗り込み、メダルを勝ち取ってヒーローになってみんなを見返してやる、とマンションの住人たちに啖呵を切り、メダルが取れたらマンションに住む、と約束を取り付ける。そして、メダル獲得のためにゲームセンターにある他のゲーム「ヒーローズ・デューティー」に侵入することに。

結果、ラルフは見事メダルを勝ち取ったが、「ヒーローズ・デューティー」の敵モンスター(サイバグ)とともにまた別のゲームに紛れ込んでしまう。

紛れ込んだ先はお菓子の国のレースゲーム「シュガーラッシュ」。

そこで出会ったひとりぼっちの少女ヴァネロペは、レースに出るためにラルフのメダルを盗んで、レース出場の切符として使う。

レースに参加できると思ったのもつかの間、ヴァネロペの車は他の参加者によって壊されてしまう。その姿を見て同情しつつも、ラルフは生意気なヴァネロペにメダルを返せと突っかかる。

メダルを取り返したいラルフと、レースに参加したいヴァネロペ。ヴァネロペはラルフに「車を作るのを手伝ったらメダルを取り返してあげる」と言い、ラルフはしぶしぶ彼女と手を組むことに。

そしてお菓子の車を見事作るが、「ヴァネロペをレースに出すな」とレース参加者でもあるシュガーラッシュの国王、キャンディ大王から追われる立場に。

ラルフと一緒に逃げる中、ラルフはヴァネロペが自分と同じく友達がいないひとりぼっちであることを知り、彼女の協力者となってレースを勝ち抜こうと訓練に付き合う。

やがて運転の腕前がこなれてくるヴァネロペ。あとは翌日のレースを待つばかり。

そこに、キャンディ大王がやってきてラルフに向かって言う。「彼女がゲームに出ると、不具合が起きる。それを見たプレイヤーはゲームが故障していると思うだろう。となるとゲームはスクラップ。不具合があるヴァネロペはゲームから出られないので、一人このゲームの中で消滅してしまう。だからゲームに出すわけにはいかない」と。

そして、ラルフが「ヒーローズ・デューティー」で手に入れたメダルを渡して、「あとは二人で話し合ってくれ」とラルフに言い、キャンディ大王は去っていく。

そんな会話がされていたことなど知らないヴァネロペは、ラルフに対して手作りの「わたしのヒーロー」と書かれたクッキーのメダルをプレゼントする。

それを受け取ったラルフは、悩みながらも「レースに参加するのはやめよう」と提案する。何を言っているの、と反対するヴァネロペ。ラルフは先にキャンディ大王が来てメダルを返しに来たことを明かす。そしてヴァネロペのことを思い、ラルフは二人で作った車を壊してしまう。

泣きながら去っていくヴァネロペは、その後キャンディ大王に捕らえられてしまう。

一方、「フィックス・イット・フェリックス」に戻ったラルフは、メダルを持ってマンションへ行く。しかし、そこには住人はいなかった。悪役がいなくなって壊れたと思われたゲームは、張り紙がされて廃棄に回されそうになっていたので、住人は他のゲームに逃げ出していたのだった。

一人残った住人から事情を聞き、マンションの鍵を渡される。ここの眺めはキミのものだ、と。

こんなことがしたかったわけではない、と後悔とともに胸のメダルをゲームのディスプレイの張り紙に向かって投げつけるラルフ。すると、モニタの向こう側、「シュガーラッシュ」のアーケード機にヴァネロペの姿が描かれていることに気付く。

再び「シュガーラッシュ」のゲームの中に戻り、「どうして不具合の彼女がゲーム機に描かれているのだ」とキャンディ大王の側近を問い詰める。結果、ヴァネロペが元々はレーサーだったことと、彼女がレースのゴールをくぐるとゲームが様変わりすることを知らされたラルフは、彼女のカートを直し、それを捕らわれの身のヴァネロペの元へと届ける。

そしてレース当日。ヴァネロペはレース中にキャンディ大王から暴力的な行為を受けつつも、健闘。しかし、途中からラルフと一緒に「シュガーラッシュ」に潜り込んで増殖をしていたモンスター、サイバグがレース中の面々に襲いかかり、ゲームは中断を余儀無くされる。

大混乱で全員が避難するが、ヴァネロペだけは不具合のせいでゲームの外に出ることができないでいた。

大量のサイバグが迫り来る中、ラルフは捨て身の行動で、虫の特性を生かしてサイバグたちを一掃しようとする。

ヒーローになれないのは悪いことじゃない、と自らを犠牲にしてヴァネロペを助けるラルフ。

そんなラルフを、今度はヴァネロペが危険を顧みず車で駆けつけ、助ける。

虫たちが一掃された後、ヴァネロペがゴールラインを切ると、ゲームが書き換えられ、みんなの記憶が戻る。彼女はシュガーラッシュの王国の王女だったことが明らかになる。

後日、ヴァネロペは「シュガーラッシュ」のレーサーとして人気を得る。ラルフは、役割は変わらないけれど自分に対するみんなの接し方が変わったことと、ヴァネロペの活躍に幸せを感じる。そして思う。悪役も悪くない、と。

使われているテクニック

さて、この作品は実にたくさんの物語技法が使われていて、実に見事にそれが功を奏している。

ここでは、そのうちのいくつかを説明しよう。

  • バディものの仕組み
  • 伏線
  • 事件解決の手がかりの発見

それぞれ見てみよう。

バディものの仕組み

「シュガーラッシュ・オンライン」のエントリでも触れたけれど、バディものとしては本作「シュガーラッシュ」の方が秀逸だ。

なぜか。

それぞれの特徴が、相手を効果的に手助け、フォローしているからだ。

ラルフの売りは「壊す」という点にある。この壊す力により、物語のクライマックスでヴァネロペを助けることになる。

一方、ヴァネロペの特徴は車の運転だ。物語のクライマックス、ラルフが身を呈してヴァネロペを守ろうとする中、ヴァネロペはヴァネロペでそのドライビングテクニックを用いてラルフの命を救う。お互いの力が、二人の人間関係に影響を与えているのだ。

助けるだけじゃない。物語の途中、ラルフは彼女の車(ラルフと一緒に作ったクッキーの車)を壊す。これにより、彼の力は発揮される。ラルフはヴァネロペのことを思って車を壊したのだが、彼女からすると大事な車をただ壊されただけ。悲しみを覚え、ラルフに対して怒りをぶつける。

「壊す」という彼の力が、良くも悪くも二人の人間関係を動かしているのだ。

反発をしながらも手を組み、そして相手を信頼して、信頼される。バディものの物語が満たすべき一般的力学と、それが感動を生み出すメカニズムについては、「バディ(相棒)ものを書くときのポイント」も参照してもらいたい。

伏線

「シュガーラッシュ」の見事さは伏線にあると言えるだろう。

本作では、先に触れた通り、ラルフはヴァネロペの車を自らの手で壊す。その時、視聴者は「壊してしまったらレースに出られない、どうするつもりなんだ」と思う。作品はそんな問いかけに綺麗な、完璧に納得のいく回答を出している。

果たして、わかるだろうか?

このエントリでは明言をしていないけれど、ヒントが隠されている。もしまだ映画を見ていない人がいるなら、正解を考えてみてもらいたい。キミならどうするか、ちょうど良い訓練になるだろう。

国王の正体についても特筆すべきだろう。ヴァネロペがゲームに出ることを禁止する、もっともらしい言い訳を述べている国王だが、実際には違う。彼女が何者なのか、そして国王が何者なのか、作品を丁寧に見ていけばなるほど確かにと思える回答が最後に出てくる。

自分のゲームから別のゲームに移動をして両方のゲームをダメにしてしまうことを、それをやらかしたキャラクターの名前、ターボタクティクスから「ターボ」と呼ぶことが物語の冒頭から語られるのだが、この国王こそが「ターボ」の語源の張本人、ターボタクティクスだった、という話だ。

途中、「ラルフがターボをするなんて」と、「ターボ」とラルフを結びつけることで、国王とターボの距離を遠ざけようとしていることがうかがえる。

伏線を張るなら、スケープゴートを用意しておき、少しでも煙に巻く努力をした方が良い。というのも、その少しの努力で、かなりの視聴者は実際に気付かずに物語を読み進めるのだから。

そう。作者が思っている以上に読者は鈍感だと考えておいた方が良い。むしろしっかり「ああ、そういえば!」と思わせるための描写を入念にしておかないと、「あれ、そんな話出てきてたっけ?」となってしまう。バレバレの伏線より、伏線の回収に気付かれない方が、ずっと問題だ。作家として描写力、説明力に関わる致命的な欠陥がある、という証明になってしまうのだから。

伏線については「小説家はどんなことを考えながら伏線を張っているのか」でも語っている。ぜひ合わせて読んでもらいたい。

事件解決の手がかりの発見

本作「シュガーラッシュ」で、ラルフはある気付きをし、それが物語を進める。頑張って手に入れたメダルが何の価値もないと思い、それを放り投げ、故障中の張り紙が取れかかったことで、「シュガーラッシュ」のゲーム筐体にヴァネロペが描かれていることが明らかになったのだ。

そして国王の側近に対し「どうして不具合に過ぎないヴァネロペがゲーム機に描かれているんだ」と問い詰め、彼女が元々はレーサーだったことが明らかになるのだ。

物語において、何かをヒントにして気付きが生まれ、謎が解けていく、物語が進む、ということが往往にしてある。

その際、一般的な常識と照らして考えると変だ、ということから気付くか、今まで出てきた話(伏線)と照らして考えると変だ、ということから気付くか。大きくはそのどちらかだ。

今回、ラルフは、「ゲーム機の筐体に描かれるのは、ゲームのメインキャラクターのはず」という常識を使って、違和感に気付いたわけである。

この「事件解決の手がかりの発見」については、今後別エントリを設け、より詳細を説明しようと思う。(別エントリ:「小説の主人公はどのようにして事件解決の手がかりをつかむか」)

おわりに

僕がここに書いたのは「シュガーラッシュ」で使われている技術のうちのほんの一部だ。その全てを享受するには、やはり作品を見るのが一番だろう。

ここではあまり触れなかったが、この物語に出てくる二つのメダルの取り扱い方も、注目に値するものだ。別の機会を見つけて語りたいとも思っている。

勉強の教材としても、エンタテイメントとしても、「シュガーラッシュ」はおすすめの作品だ。きっとキミも気に入り、そして思うはずだ。「お見事」と。

僕を信じてくれるなら、見た方が良い。大丈夫、得しかさせない。

活用されたし。